昭和40年後半、当時互尊文庫(現長岡市中央図書館)館長内山喜助氏と、この長岡を拠点として家業を営みながら、 地域の文化を発信することに情熱を持っていたマルチ文化人羽賀善蔵氏との提唱で産声をあげました。 誰でもいつでもできる「文を書く」ということを、さらに日頃書きためていたものを、また今書きたくて思いを文章や手紙にしたためている人も、それぞれにペンを握り稿を持ち寄って、集まり雑誌を作ろうと致しました。 羽賀氏が特に懇請して、年来の友人であり日本の詩人である堀口大學先生にタイトルを撰し命名をいただきました。 |
![]() |