令和元年度平成31年度(2019年度) Penac44号 |
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ご挨拶 長岡ペンクラブ会長 川上 洸 (Penac44号に寄せて) |
多田隆三先生 講演「耊錄にまつわる散歩道」
「耊錄→てつろく
耊錄とは、江戸の哲学者佐藤一斎の論 |
Penac44号 巻頭言 川上 洸 ー 令和と共に ー
さくらの花だよりが日本地図を覆っている
人々は花を眺め 花に触れ それぞれの
心の中にも花が咲いている
心はことばを生み ことばも花開く
この春は特別の花が咲く
そして 令和 新しい年号は花の中から生まれた
千年という時を生きたさくらと共に
人々の心の心の中に万葉集も生きた
云い伝えられ書き続けられてきた日本のことばを集めて
それぞれの花束にしよう
さくらの種が集められて新しい千年の命をはじめるように
私たちのペナックも花束となる |
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平成30年度(2018年度) Penac43号 |
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ご挨拶 長岡ペンクラブ会長 川上 洸 (Penac43号に寄せて) |
平成30年度 長岡ペンクラブ総会
金子登美先生講演会 懇親会大衆割烹十字路 |
ようやく夏らしくなり、Penac43号か刊行されました。新しいペナックがお手元に届いている会員の方々におかれましては、変わらぬご厚情に感謝申し上げます。また、会員以外の方々におかれましても、文進堂書店等を通じましてお買い上げ頂き、お近くに必携されておられますこと、感謝申し上げます。こうして私たちはいつも心をこめて作品を書き、書物にまとめてまいりました。しかし最近はこのような方法ばかりではなく、ネット社会を反映して、文字によって文章を作り発表することもいろいろとでてまいりました。こうした中で人々が書物(作品)に出合うという時代の変化を感じております。
完成作品が書物となって、書店及び図書館以外にも目に触れる機会が増えている現代の社会では、新しい発見と出合いは多種多様の時代です。長岡ペンクラブはそういう中で、しっかりと未来を見続けていきたいと思っております。
会員及び長岡ペンクラブへご愛顧いただいている皆様方のご理解を一層期待しております。併せて、関係各位の皆様のご健筆をお祈り申し上げ、新しい一年を過ごしたいと思います。ありがとうございました。
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平成29年度(2017年度) Penac42号 |
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ご挨拶 長岡ペンクラブ会長 川上 洸 (Penac42号に寄せて) |
Penac42号発行・平成29年度総会始まる前の風景
Penac42号発行 平成29年度 長岡ペンクラブ総会
総会は予定通り開会され審議内容は、すべて承認されました。 |
ペナック42号 発刊ご挨拶申し上げます。
ご挨拶の方が少し遅れました。本誌後付けは6月20日発行とあります。
当時は急に気温が上がったり異常な夏の兆しはありましたが、まだ各地の庭や公園などには紫陽花の花ざかり、今年はとりわけその七色のブルーが美しく思われました。
振り返って、創刊号ペナックの奥付を見ますと、1976年7月24日と日付があります。前年発会いたしました長岡ペンクラブの母体である「松岡譲をしのぶ会」が拠りどころと致します松岡譲先生のご命日を記念して「鴉山忌(あざんき)」を営みました。その席上で「松岡譲をしのぶ会」より「松岡譲文学賞」受賞者の発表を行ったのでした。作品はペナックに掲載しております。
梅雨明け頃の天候不安な時季でしたが、悠久山にあります松岡譲文学碑の前に茣蓙を敷き車座に為って祝杯をあげる、野趣に満ちた、地方発の祝宴にふさわしいしつらえでありました。隣同志隔てもわだかまりもなく、中身の濃い議論がもりあがって印象深い情景であった記憶があります。
爾来、文学賞は20回を以てその任を完うしたとして閉じ、ペナックの刊行は更に新たな会員と共に続いております。
42年経た今、様々な情報は瞬時に世界を駆けめぐる、当時には全く想定外の世の中となりました。本誌製作の一年は今此の時代に極めて緩やかな流れに思われますが、42年前といえども人々は既に安定した豊かさに浸っているだけの体感ではなかった筈。その波の中を漂いながら、さ迷いながら、寄り集っていたのではないでしょうか。
ペンクラブは振り返ってみる「歴史」を持ちました。今も前向きに活動したいのは勿論ですが、振り返って蓄積を評価してみるのも如何でしょう。
今、頭に浮かぶ一言を呟いた時、これを一年後どう回想したらいいのか。それは、どうお届けするのか、なやみつつ、お互いにいい方向が未来にありますように念じております。 |
平成28年度(2016年度) Penac41号 |
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ご挨拶 長岡ペンクラブ会長 川上 洸 (Penac41号に寄せて) |
ペナック新世紀のはじまり
夏が来ました。ペナック41号出来ました。 昨年40号を刊行、40年をひとつの区切りとして、増刊号も順調に発刊しました。おかげさまで予想以外のありがたい応援をいただき、多数の皆様にお目に留めていただきましたこと、望外のよろこびでございます。
勢を得て41号、がんばりました。
時恰も夏目漱石没後百年に当たり、所縁の作家松岡譲を発会のシンボルに戴いておりますペナックも、マスコミに登場する機会がいくつかありました。
本誌に長く寄稿され、作品を本誌の柱のひとつとして掲載してまいりました関口安義氏の、今年のテーマは「長岡ゆかりの人々⑤ エッセイスト 半藤末利子」であります。
半藤末利子さんはご自身も作家であり、夏目漱石の孫に当たられる方、母上は漱石のご長女、筆子さま、父上は漱石門下松岡譲氏であります。ご高覧いただければ喜ばしいことです。 改めて旧版を繙きますと、創刊号に「夏目家の長女」と表題して、松岡筆子・円地文子・車谷弘御三方の座談会の記録を載せておりますのをはじめ、松岡譲の命日を記念して催しておりました「鴉山忌(あざんき)」へのご出席の写真などなつかしい場面も再会致しました。
今年、長く籍を置いておりました商工会議所から事務局を移転いたしましたことをご報告申し上げます。 40年を区切りとし、新しいペナック世紀をどうぞご期待くださいますように。 新事務局は、長岡市学校町2-11-25。 旧版在庫を頒布いたします。 |
平成27年度(2015年度) Penac40号 |
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ご挨拶
長岡ペンクラブ会長
川上 洸 (Penac40号に寄せて) |
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お久しぶりです。「ペナック」40号と増刊号が出来ました。3年がかりで40号の刊行を努めてまいりました。此の度「増刊号」というお伴を連れて無事出来いたしましたことは、大きな喜びでございます。それぞれ400頁近い大冊となりましたので、立ち読みするには重いのですが、机上にゆっくりと鑑賞いただけけば幸いです。
巻頭言に四十年に因み、「不惑」というふうに申し上げました。この時間はいろいろなものを含んだ大きな空間となったわけで、ペンクラブも問題を抱えていないことはありません。
おつきあい下さる皆様の智恵と寛容のお心で見守りつつ、変わらぬご協力をおねがい申しあげたいと思います。 |
平成26年度(2014年度) Penac39号 |
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ご挨拶
長岡ペンクラブ会長
川上 洸
(Penac39号に寄せて) |
ペナック39号できました
2014年6月28日 ペナック39号発刊しました。1976年(昭和51年)にペナックが創刊されたのは、そのきっかけとなった作家・松岡譲の命日鴉山忌(あざんき)に当たる7月22日を期してのことでありました。以来39回(年一回)を欠けることなく発行してまいりましたが、途中世の中にも環境にも変動があり、測らずも発刊日の遅れを余儀なくされたこともありました。しかし、会員皆様の熱い協力をいただきこの記念すべき発刊の日程を取り戻すべく、編集部一同、キャンペーンを行い、編集を組み、更に努力を重ねて執筆を喚起してまいりました結果7月5日の発刊にこぎつけることができました。
来年度40周年に充実した記念号をお届けしたいという、その先の希望もあって、いくつかの特集を組み、ラジオ放送(FMながおか)を通じての広報、会員のご協力を仰いで取材記事を設けるなど新しい展開と充実をはかりました。
ただ、基本的に会員販布の形をとっておりますためになかなか書店で手に取っていただく数が少ないのが問題でありますが、近来めざまし
IT書籍の普及もあり、こうした形で読んでいただけることも望外のよろこびであります。しかし、書籍の形の変化を愁える傾向も一方にはあり、
私共は可能な限り、今の書籍の形でこの刊行を続けたいのです。
来年に向かって一層の気合いを持って進みたいと思います。宜しく御願い申上げます。
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平成25年度(2013年度) Penac38号 |
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ご挨拶
長岡ペンクラブ会長
川上 洸
(Penac38号に寄せて)
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「ペナック38号」ができました。
昨年総会でお約束したように、7月中には会員に配布を目標に、2月22日〆切をスタートし、粛々と作業を進めて、予定通り6月28日刊行にこぎ付けました。7月13日に総会を行い、総会出席者には会場内で配本、欠席者には後日の郵送で遅くとも7月中には全会員のお手元に、Penac38号が届いているものとおもいます。
会員皆様にはこの日程も、特集の内容もよくご理解下さり、遅滞なく運びましたことは、ご同慶の至りでございます。
思えば、38年前に悠久山の松岡譲・堀口大學両先生の記念碑の前で発会式を催しましてなごやかにこの集まりを始めまして以来、順調に事業を進めて来られましたこと、本当に有難く、喜ばしいことでございます。
あと2年後の40号刊行に向けて、特集を企画し、皆様に更なるご協力をお願いしているところです。
どうぞ大きな期待と、応援いただけますよう、編集部一同心からお願い申し上げるところでございます。
特集として組みますものへのご投稿の一部、今号にも紹介しております。ご笑覧下されば幸いに存じます。 |
平成24年度(2012年度) Penac37号 |
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ご挨拶
長岡ペンクラブ会長
川上 洸
(Penac37号に寄せて)
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順調にペナック37号ができました。
この一年相変らず大へんな日本ですが、震えあがるような災害もなく、この日を迎えられました。編集部、そして事務局のご苦労に感謝いたします。
今年、戦後67年という年に当たり、その戦争終了の二週間前に空襲にあって当時の市街の8割が焼き尽くされたわが長岡市にとっては、8月は一日一日が忘れ難い日々であることに改めて思いを致すのであります。
この夏数多の市民の協力によって映画「この空の花」(大林宣彦監督)が公開されました。また、市内の市立南中学校3年生の皆さんが演劇「平和の心を未来へ 8月1日を忘れない」を上演しました。爆撃という理不尽な戦争の行為によって、それまでの生活の全てを失い、家族や地域の絆、そのいのちまで焼失してしまった絶望と、瓦礫と、記憶の中から、生き残った人々が空襲の記録を精力的にあつめて展示している「戦災資料館」という施設が長岡には、あります。この演劇も映画もここに資料を求めてつくられました。
今だから語れる、今だから見える、そうした痛恨の資料を収集するのに、ペンクラブの有志も汗を流し協力しています。記録を集め、整理し伝えていくのに、如何にペンの力が重要であったか、思いしらされることです。
演劇については、思いがけない中学生の企画ということで、ペンクラブも興味をもって取材をいたしました。次号38号に詳細を掲載いたします。若い人達のことばと文章力による発信の力強さに感動したところであります。
ペンクラブは、広く社会に生きる人々が、文章を作り発表するというよろこびをもって集まる場所でありたいとずっと思ってきました。37年という歳月は貴重な時間ですが、一人の会員について思えば歳を重ねることにより、新しい創造、発信に向かうエネルギーが減少していることは、残念ながら確かなこと、その中で、この中学生達に出あえたのは、幸せでした。長い間に蓄積された重厚な感性も失ってはならないことですが、長岡に於いて、こういう若い「文化」の力が発信されたことを喜びます。
新しい視点の兆しも感じ取っていただけて、38号をとって()いただければ、ペンクラブの思いも、更なる展開への期待が拡がります。
ご高覧を賜りますように・・・。
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平成23年度(2011年度) Penac36号 |
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ご挨拶
長岡ペンクラブ会長
川上 洸
(Penac36号に寄せて)
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文章を書くことが誰にでもできる作業である。人々は心に残る、或いは残したい事柄に出あったとき、他人に語らずに居られない。
語るために言葉を探し、文章を綴るだろう。 自分に語るためでもいい。そんな誰の心の中にもあるものを互いに読みあう場があってもいいのでは・・・。
長岡ペンクラブを発案した羽賀善蔵さんの思いは、こんなところにあったのではないかと思っている。昭和の長岡は或意味でどこにもある田舎町だった。羽賀さんはそこから全国に「長岡の文化を発揚しようとし、手段として「文章を作ること」を選ばれたと思う。賛成する人は意外と多く、二百余名からピーク時では四百人近くまでの会員が集まった。
会員の高齢化ということもあって、人数は減ったが気分は同じである。 随想・紀行・評論そして、詩も俳句も。個性的で上等な作品が収められている。 お好きなジャンルを選んで読んでみてほしい。「長岡の文化」を知ってほしい。 |
平成22年度(2010年度) Penac35号 |
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ご挨拶
長岡ペンクラブ会長
川上 洸
(長岡ペンクラブホームページ開設に寄せて) |
私達、長岡ペンクラブは35年の歴史と、87人の小さいが熱い思いをこめてペンを握る人々の集まりです。
私たちは35年前、当時互尊文庫(現長岡市中央図書館)館長内山喜助氏と、この長岡を拠点として家業を営む傍ら、地域の文化を此の地から発信することに熱心であったマルチ文化人羽賀善蔵氏との提唱に応えて集まりました。
まずは、その手段として、誰でもいつでもできる「文を書く」ということ。日頃書きためていたものを、今書きたくて思いを紙翰に打ち付けている人も、それぞれにペンを握り稿を持ち寄って、集まり雑誌を作ろうと致しました。
羽賀氏が特に懇請して、年来の友人であり日本の詩人である 堀口大學先生 にタイトルを撰し命名をいただきました。
”Penac”詩(poet)、随想(essayist)、小説(novelist)、アート(artist)、そして、Cは市民(civilian)を現します。しかし、これにはそれぞれの分野や枠取を限定するものではなく、詩人独特のレトリックをもっての郷里の、何かをしようとしている私たちへのオマージュであったのだろう、と、思っております。
星霜35年。大きな広い心でこの集いを立ち上げて下さった諸氏は今は、揃って天上の人となられましたが、その創設の心には今も滞りなく続いて今日に到っております。
堀口大學先生が、肉筆を持って賜ったタイトルを戴いて、私たちはひたすらペンを握ってまいりました。
今回35号巻頭言に記したように、行間に漂う心をも含んで、血の通った指先から、温かい手のひらへ思いを届けたかったのです。
しかし、この半世紀メディアの手段は急速な変化をとげました。書物という形ではなく、またどこかしらという距離感もなく、すべての人々に私たちの作品を知っていただける世の中になったことと、泉下の先人達も、喜んで迎えてくれることと思います。
長岡ペンクラブをよろしくお願い申し上げます。
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