今月のコラム


2004年12月

ごあいさつ

 

大災害の1年が終わろうとしています。これを読んでいる皆様方にも、大変な被害に遭われた方もおいでのことと、謹んでお見舞い申し上げます。

私事ですが、7月にはケーブルテレビ社員として長岡市災害対策本部に張り付きました。誰もが初めてことで大混乱の中にありました。ところが10月に再び張り付く運命が待っていたとは知る由もありませんでした。今度は7月よりはるかに広範囲に大被害が出ているにもかかわらず、実に動きがスムーズでした。人間は学習するものなのです。

「復興の街ながおか」などというイメージがありますが、よもや3度目に遭遇するとは思いませんでした。今からは3度目の復興物語が始まります。筋書きのない人生ドラマですが、あらすじを書いてみたくなる年の暮れです。

あまりに刺激的な日々の中で、やはりラグビー早明戦には癒されました。まるで水戸黄門にご満悦のお年寄りと同じですが、安心してアルティメイト・クラッシュを満喫させていただきました。やり方を変えれば必ずできることを清宮監督に教えられました。

 

《幹事会の風景》

12月9日、隠れ家「茂」の奥の間である。大地先輩の到着を待って、幹事会は始まった。

出席の面々は、鷲頭会長、田中副会長、大地先輩、五十嵐事務局長、草間先輩、大石先輩、一由君、それにかわらばん書きである。

並べられた料理を見て、「まずはゆるゆるとやりますか」という雰囲気を制して、会長は「一言しゃべらせて」と切り出した。

大災害の一年を総括するのだから、話は簡単には止まらない。稲門会に当面する課題を次々と指摘。募金・剣道会広告収入・ゴルフコンペ参加者低迷等。会長に謙虚に反省されても、返す言葉もなく、改めて濁流に流されてきた年だったことを実感する。

役員改選の議題も出るが、「なんとか頑張りましょう」で終わり。人事というのもエネルギーのいる作業。どうしたら若手を動員できるのか。もはや永遠のテーマにさえなろうとしているが、まだまだ何をしたわけでもない。清宮ラグビー部監督ならどうするか、という視点から考え直さなければなるまい。

 

ひとしきり終わると、後はゆるゆると飲みながらの展開となる。

当然主役は地震である。報道一直線のNHK一由記者に質問が集中する。「被災現場日目に原信のトラックを見た時、ホントに助かったと思いました」

「全然食べていなかったんで、トラックに飛びついて、食べ物をくれと言いたい気分でした」

「山古志の畑の野菜がうまそうに見えるんですよ」あながちヨイショだけでもあるまい。

「地震直後にトラックを確保したおかげです。手配が遅いと確保できなかったはずです」と五十嵐事務局長。さすがの危機管理。水害が予行演習になったのか。

「うまいといえば・・・」大石上等兵が口をはさむ。

「自衛隊の昼飯がうまいんですよ」

「彼らは戦争がなければ、一年中料理研究しているようなものだからなぁ・・・」誰かが返した。

「山古志の取材で一番感動したのは、ああいう極限状況の中で人間の本性がでるというか・・・彼らは本当に助け合うんですね。食料が配給されれば、きちんと子供とお年寄りから順番で、男は最後なんです」

「地割れができたり、家が倒れたりしていても、みんなホントに家族のように助け合うんですよ。カンドーでした」

本当に興奮した口調で、一由記者は続ける。

「長岡の避難所じゃ、食料が少ないといって男がケンカしていたんですから・・・ザンネン」

大地先輩が総括する。「水害・地震とあって、改めて家族を認識した年だった。なにが本当に大切なのか」

「人間の本性といえば、天皇陛下の優しさが凄い。改めて惚れ直したよ」

天皇陛下を惚れた晴れたの世界の引きずり込むとは、会長もスゴイ。

話題はだんだん軽い方へと移り、韓流ブームに。

「ブームは一気に盛り上がったが・・・ヨン様って何様なんだ」

オジサンの怒りが爆発する。いや、嫉妬かも・・・。

件の大物市議が続ける。

「あんな顔、よくできるよな。にかにかと」

「まったくヨン様ばかりで、日本男子はふがいない。でも・・・俺もター様なんて言われてみたい・・・」とおどけるのは、いつも明るい大先輩。

今日からター様と呼ばせていただきますよ、田中副会長。

 


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