新年会のご案内
恒例の新年会を下記の要領で行います。ご参加をお待ちしています。
ご希望の方はご連絡下さい。
п@080-5986-4330(ワカツ記)
記
日時 平成25年1月5(土) 午後4
時より
会場 長岡市柏町2丁目 「かも川別館」 35-2341
総会 昨年度事業報告
会費 校友8,000円
長岡稲門会会長 五十嵐安夫
幹事長 若月栄弥
原名誉会長(県支部長)急逝
長岡稲門会の会長として、長く長岡稲門会をリードし、その後県支部長として新潟県をリードするとともに、大学経営にも参画されてこられた原信一先輩が、5月5日逝去されました。心からお悔やみ申し上げます。
原先輩の稲門会史
大学卒業後まもなく会計幹事に就任
平成元年
長岡校友会(当時)会長に就任
以来7期14年会長を務める。剣道指導会13回開催
平成5年 県大会主管
125周年記念募金活動
平成14年 県大会主管 奥島総長の大学改革に共鳴
平成16年 新潟県支部支部長に就任
125周年記念募金活動終了 新潟県達成率92.5% 8,227万円全国20位
大学商議員を歴任
平成18年9月
県大会
かも川本館にて
原さんを悼む
大地正幸
2・26事件の年に生まれ、戦後の荒廃した深い霧の中、底知れぬ不安と恐怖の中から、突き抜けた青空を求めて生きた生涯だった。早稲田大学法学部
昭和34年卒業、同期同学部に学んだ者として、大きな喪失感と衝撃を受けている。
昭和60年、市内の中学校は校内暴力の嵐が吹き荒れていた。
東北中学校では、PTA会長原信一、副会長大地で正常化にあたることになった。最後の牙城、東北中学校が昭和58年から攻撃を受けた。校舎の窓ガラスはいたるところで打ち割られ、廊下を自転車で暴走する生徒の暴力に対する学校側の対抗措置は、教室から教室に勝手に徘徊する生徒の一人ひとりに、前後左右4人の教師が同行し、暴行を阻止するのが唯一の手段でしかない状態であった。
学校側と連日連夜にわたる協議とPTA臨時総会、役員会の対策会議に明け暮れた。「おはよう」のあいさつ運動が年間200日にも及んだ。
その間、原さんは会社業務や公職で超多忙にもかかわらず、自分の役割を着実に実行した。
そして昭和61年から、私がその後を引き継ぐことになり、何とか沈静化にこぎつけた。報告にあがると、例の少しはにかんだような笑顔で、二人手を取り合って喜んだものである。
原さんは健康には大変気を遣っていたようだ。5月6日午前8時過ぎに弔問に自宅にお伺いをした際、奥様から「主人は家族間では健康オタクと云われていたのよ」と聞かされた。
「私には従業員とその家族を守る責任がある」口癖のように云い、健康には人一倍気を遣っていた。
18年3月、立川病院にペットが導入された折に夫婦で受診、異常なしの判断であった。9月になり知人より自宅近くのカトウクリニックの先生が大腸癌の権威と聞き、軽い気持ちで大腸と胃の検査を受け、10月末胃癌が発見された。11月末、新潟大学病院に入院。12月初め、胃の全摘出手術を受けた。
20年2月には市民の代表として市長の要請を受けハワイへ出かけるほどに回復。ところが3月に転移判明。4月まではロータリークラブの例会に出席したものの、4月中旬に急激に悪化し入院。腸から腎臓・心臓に影響を与え、5月5日午後逝去された。とのことであった。
原さんはまさに、長岡花火の三尺玉のように、天を焦がし、
光芒を放ちながら 万雷の轟きとともに逝った。
心から哀悼申し上げます。
新県支部長に北村泰作先輩(新潟)
原支部長の急逝に伴い、7月9日県支部役員会が開かれ、新体制が決まりました。新潟稲門会の北村会長が新支部長に、副支部長には以下の皆様が選出されました。(敬称略)
栗田修行(上越) 石井修(新発田) 春日道雄(県央)
大地正幸(長岡) 安田隆信(新潟)