今月のコラム


 2002.1.13

大学ラグビー決勝戦を見て

真の王者関東学院と清宮マジックに脱帽

かわらばん書きワカツ記

 

1月12日は大学ラグビー決勝戦をテレビ観戦した。いつもこの季節には、テレビ放映される試合は必ず観ているが、今年の決勝は、緊張感が途切れることなく、レベルの高いすばらしい試合だった。もちろん、早稲田ファンの立場であるから、早稲田の出ない試合とは、気合の入り方が違うことは当然なのであるが、それはさておいても、客観的にすばらしいと断言できるだろう。

この評価は多くの人たちにも共通だったようである。テレビ解説の砂村さんも、すばらしい試合だったと認めているし、当の春口関東学院大学監督にしても、こんなに楽しい試合は何回もやりたいとインタビューで答えていた。

大学ラグビーの決勝は、最近10年間の結果を見ても、ある程度点差がつくことが多いようである。昨年の関東対法政は27点差、99年の慶応対関東は20点差、98年の関東対明治は19点差、という具合である。接戦だったのは、実に92年の法政対早稲田3点差までさかのぼらなければならない。

ルール改正で、観て楽しいようにトライをとりやすくなった結果とはいえ、やはりあの程度の点差があっては、緊張感が不足してしまうだろう。

身びいきとはいえ、勝てるのではないかと思いつつ観始め、点は取れないながらボール支配では優勢にたち、今か今かとトライを待ちつづけながら前半を終了。後半は実際に同点まで追いつき、しかも20分過ぎからはフィットネスの差を見せ付けて、必ず取れるという自信のようなものまでもっての観戦である。結局、ロスタイムに入ってからの最後のウィング仲山の快走で、あわやというところまで行きながら、無常のホイッスルを聞いたのであった。

その瞬間まで、早稲田ファンの誰が負けを意識しただろうか。逆の立場では、関東ファンの誰がいったい安心して見ていられただろうか。

やはり接戦は文句なしに楽しいのである。そして、負けてもむなしさが残らないのである。

負けてしみじみ思うのは、関東は強いということである。今年だけではない。過去5年間連続して決勝に進出し、4回優勝。負けたのは99年の慶応だけである。

かつて大東文化大学がトンガ出身の選手のパワーで全盛期を築いたが、それも一過性だったようであるが、関東の強さは本物というしかない。なにしろ全員が強いのである。特定のスターがいるわけではない。しかも強力フォワードはほとんど来年も残り、間違いなく来年も決勝進出ナンバーワン候補といえよう。

強さの秘訣は何か。とにかく大きくて足の速い選手を集め、充実した芝生のグランドで、ニュージーランドのコーチをつけて、オーナー監督の春口監督が指導しているのである。「早稲田を倒して日本一になりたかった」と語る春口監督の言葉とはうらはらに、選手たちは世界を見ているといえるのではないか。

ならばなぜ明治は勝てないのか。選手の素質ではひけをとるはずがない。しかし明治は勝てなくなった。それはやはりオーナー監督である北島監督が逝き、集団指導体制になったからではないか。集団では誰も本当の意味で責任を取らない。極端な主張より、無難な主張が集団を支配し、問題の先送りを繰り返す。「明治は縦」という伝統の呪縛にあって、思考停止状態にあるのではないか。

こんなことを書くと、まるで日本経済の「失われた10年」のようであるが、成功体験後の組織の呪縛と無責任体質という点では、全く同じものだろう。

実は同じことが過去10年間の早稲田にも言えるはずである。早稲田はOBの集団指導でやってきたが、90年に鬼のキモケン監督の時に優勝はおろか、日本一になってしまった。この成功体験が呪縛となって、翌年からは、それを継承するだけで進歩のないチームになってしまったのではないか。入れ替わり出てくる監督が順番に肩を落として去ってゆく。彼らもサラリーマンであり、休みの日しか指導しない。彼らが改革を思っても、大先輩の多い集団指導ではなかなか意見がとおらない。こうして、90年をピークにチーム作りの思考が停止してしまったのではないか。

さらに言えば、早稲田ラグビーは明治に勝つことだけに特化したラグビーであり、小さな体で大きな相手を倒す理論に没頭し、それが世界に通ずる道だと考えてきたが、理論に没頭しているうちに、世界のラグビーはどんどん進歩してしまったのである。そして、社会人も追いつこうと努力し、学生とのレベル差を大きく開いてしまったのである。ひとり進歩が止まっているのが゚、早稲田と明治を頂点と考えてきた大学ラグビーなのである。関西の低迷もこの中にあるのではないか。

だいたい早稲田か明治かなどという公式に喜ぶのは、見ている方だけである。わかりやすくて、安心感がある。いわば「水戸黄門」のようなものである。しかし、「水戸黄門」しか見なくなったら「ボケ」が進むというのも、最近指摘されている事実である。

話は跳ぶが、経済政策でも、財政政策か金融政策か、というケインズか古典派というステレオタイプな論争では何も解決しないと指摘されているではないか。

話を戻そう。この、明治か早稲田かという枠を越えて飛び出したのが関東学院なのである。関東は明治も早稲田も見ていない。社会人と世界を見ている、そんな気がする。もはや、今までの早稲田でも、明治でも、関東に勝つことはできないであろう。それが、数年前からおこっている大学ラグビーの構造改革なのである。

幸いなことに、早稲田は125周年大学改革の流れの中で、ラグビー改革に乗り出すことに成功した。選手のスカウトもこれから成果をあげるだろうが、まずもって強力なリーダーの投入に成功した。

清宮監督は、社会人でサントリーを頂点に導いたキャプテンであり、学生時代にも強力なキャプテンシーに定評がある人だった。だいいちあの面構えは尋常ではない。不敵な笑みを見ていると、負ける気がしないし、まだ32歳でしかないが、思わず「先輩」と言ってしまいそうである。その彼を、サントリーから常勤の監督として借り受け、恐らくはOB会はとやかく言わないという約束をしてまかせたに違いない。わずか1年で早稲田は生まれ変わってしまった。

昨年までは、負ける時の姿がみじめだった。オープンだワイドだという意識だけが支配し、抜こうという気概が感じられない。相手が予定する早稲田ラグビーに対するディフェンスにズバリはまってしまい、後退しながら必死にパスを繰り返していた。これでは見ている方も、息苦しくなってしまい、情けなくさえ思うのだった。ワイドとは言っても、フォワードが前進し、バックスも一人一人がゲインをきって、相手ディフェンスを下げて、初めてパスが生きるのである。そのパスも飛ばしパスを交えて初めて対面を抜けるのだ。相手の考える早稲田ラグビーを越えなければ、早稲田ラグビーはないのである。

さて、清宮監督の投入で早稲田ラグビーは復活した、というのがマスコミ各紙でも取り上げられている。一部では、大西マジックにも並ぶ、清宮マジックの誕生だとも指摘されている。それはその通りかもしれない。いや、その通りだろう。しかし、結論はまだ急いではいけない。構造改革の旗手、関東学院にはまだ勝っていないのだから。関東に勝って初めて復活と言えるのであり、その時は、ジャパンのチーム作りにも影響を与えられるのではないか。

その日を私は心待ちにしている。そして、早稲田びいきのマスコミもまた、冷静で公平な報道を忘れて心待ちにしているに違いない。

あのNHKですら、カメラマンはバックスの親分である水色のヘッドキャップをかぶった山下大吾の、これまた不敵な面構えを追いつづけ、左京キャプテンの少しあどけない癒し系の顔を写しつづけた。アナウンサーも、解説者も、そしてもちろん国立競技場の多くの観衆もまた、早稲田の復活を喜びながらの観戦であったことは、何度ビデオを繰り返しても明らかである。

とりあえず今日のところは、「真の王者関東学院と清宮マジックに脱帽」なのである。

 


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