おお神よ、暗黒の9月の幕開けか
幕開けは9月11日に突如訪れた。それにしてもあまりに劇的な、アメリカの市場制覇に対する鉄槌だった。これで、市場原理主義のアメリカ対イスラム原理主義の戦争突入は避けられないものとなった。かねてから、次の対立はアメリカ対イスラムだと指摘されていたが、早々に現実のものとなるようだ。
これで日本経済の今後は全く読めないものとなってしまった。
なんといっても経済学の原則は、 他の条件が同じならばという仮定から始まるのである。日本の景気を語るには、アメリカの景気が一定であるとし、為替相場が一定であると仮定する必要があった。それでも景気対策としての財政政策と金融政策のあり方をめぐっては、エコノミストたちの間でも千差万別の意見があったことは、あらためて言うまでもないだろう。もちろん小泉政権は竹中平ちゃんのサプライサイド経済学を中心に据えているわけであるが。
しかし、現在ではあらゆる前提条件が変わってしまったのである。アメリカの国内消費は冷え込み、テロへの警戒から貿易は縮小し、航空需要は減少、原油価格はとりあえずのショック高、続いて世界景気の減速から下落、戦争が始まり長期化が予想されればじり高に転ずると思われる。為替相場はドル安からどう変化するのか。考えてみれば、あらゆる条件が変化し、それに連動して日本の経済は変動するのである。
しかし一つだけ確かなこと、それはあらゆる楽観論がこれで消滅したということである。もはや何が起ころうとも誰も驚いてはいけない。悲観論こそなんでもありの時代が到来したのである。
1980年代には、いろいろなエコノミストが予測をしたが、ことごとく楽観論、積極論が勝利した。ところが最近では、あらゆる楽観論が敗れ、悲観論が勝利しつづけている。
私はここでとりあえず筆を納めることにする。私はエコノミストでもなければ、ジャーナリストでもない。あくまでもエーヤの初級経済学講座なのである。日常の出来事を経済学的視点で、初級者に語るために書き始めたのである。大いに路線を逸脱してしまったことを、大いに反省しなければならない。