フリーマーケットの経済学

エーヤは先日大手通りの歩行者天国フリーマーケツトに出店しました。当初は客離れの著しい大手通り商店街のイベントをじっくりと観察し、潜入ルポを書こうと思ったのですが、フリマが忙しくて一歩も動けず、形を変えての登場です。

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さて、経済学的な立場からフリマを見ると、いわゆる市 (いち) と同様に、かなり完全競争市場に近い存在であると考えられます。これよりも完全な市場は株式市場や青果市場などがあげられると思いますが、両者の違いについて説明をしておきましょう。

このフリマという市場では、供給側である出店者はすべて一定の枠を与えられます。ここの場合は一枠2m×2mで、出店料は500円になります。もっとも複数枠を押さえることもできますが、すべて同じコストであり、準備も限られた時間で、車の乗り入れも制限されることから、いわゆる一般的なスタイルとしてむしろ敷に商品を並べるだけの原始的な小売形態となるようです。この点では不完全競争を狙うことは難しいものです。

まだ需要側である一般客は、この日限りの市ということで、なじみの店もありませんし、あくまでも並べられた品物とその価格がすべての選択基準になります。その点では完全市場に近いものですが、彼らは出店者の全貌を知りません。どこで何を売っているかは自分足で回ってみて始めてわかることです。ですから、情報が非対称であると考えられます。これは不完全市場の要因といっていいでしょう。そしてこの点が青果市場などの常設市場との決定的な違いになります。

さらに決定的なのは、並べられている品物の多くが出店者の所有する不要品であるという極めて限定的な商品だということです。すなわち現在の一番の売れ筋といわれる規格大量生産品ではなくて、時空を越えた過去の物や、こだわりの物が多いということです。この点で、価格競争が制限され、いわゆるレア物といわれる物が高値で販売されることにもなるのです。もちろん高値というのは、売り手と買い手の合意のもとに成立するものであり、高くても売れるかもしれないという売り手と、どうしても欲しいという買い手が存在して初めて可能になるわけです。

さて、先に売り手はすべて平等という意味のことを書きましたが、1つだけ決定的に違うことがあります。それは立地です。小売業は立地産業といわれ、円形競技場を使って行うのでない限り、立地による優劣は大きく現れます。

今回の場合で言えば、私の場所はかなり中心部の交差点付近、具体的には「ガトー専科」の前の角地でした。歩行者天国とはいっても現実には歩きなれた横断歩道を多くの人が歩きます。必然的に多くの人たちが私の店をながめます。そこに2方向に品物を並べ、人目をひくように看板を設置しました。これで私の店の認知度は飛躍的に大きくなったはずです。隣の人たちの店は、前を通る人たちに対してだけ2mの間口で並んでいるのです。これでは買い物を目当てにしている人以外には目を止めないと考えられます。ましてや一番はずれの方に位置した場合には不幸というしかありません。

とはいってもこの配置は、おそらくひとつの合理性、すなわち「早い者勝ち」というルールによって決定されたものだと考えられます。まず商店街の人たちが最初に希望の場所をとることは疑いの余地がありません。次には申込みの早かった私たちが有利な場所に割り振られ、最後に当日受付の人たちが抽選で決められていたようです。

先ほど小売業は立地産業だといいましたが、このように小売業にとって有利不利があることから、土地の価格は小売に有利なところが高くなるという原則が生まれました。かつては鉄道などの大量輸送機関の存在が大きかったので、その周辺である駅前が一等地となり、駅前商店街なるものが生まれました。それがマイカーの普及によって相対的な価値を下げたことは皆さんご存知のとおりです。

しかし、戦後の日本は復興の名のもとに経済成長を続け、土地は必ず上がり続けるという土地神話が生まれ、駅前地区は現実的な価値を超越してまで上がりつづけました。これがバブルを生み出したことはいうまでもありません。問題はこの間、銀行が最も確実な資産として土地を信頼し、不動産担保金融に全面的に依存したということが指摘されるでしょう。

その結果、バブルの後始末を超えて、いわゆる資産デフレの進展と不動産担保金融の崩壊という問題を引き起こし、現在のデフレ不況を迎えているのです。

ここで地価というものを改めて説明しておきます。

日本の地価は1物4価ともいわれますが、公示地価 (基準地価)、路線価、固定資産税評価額、取引価格があり、このほかに鑑定価格が存在します。

公示地価は国土交通省が全国の主要なポイント地点の地価を公表するもので、すべての基準になっています。基準地価は県が公表しますが、性格は同じものです。

路線価は国税庁が相続税の算定基準とするために公表するものですが、現在では公示価格の8掛け程度に決められています。路線ごとにきめ細かく作られているので利用価値が高く、税理士がよく利用しています。

固定資産税評価額は公示価格の7掛け程度に決められています。市町村の固定資産税のもとであることはいうまでもありません。

ここまでの3価はお上が決めたもので、深く結びついていることは今述べたとおりです。

次に取引価格といわれるいわゆる市場価格があります。土地はあくまでも個別のものであり、取引があって初めて価格が決まるのだとすれば、これこそが真実の価格ということになります。一般の人たちにはこれこそが本当の価格と考えている人も多いものです。

かつての土地インフレ時代には、周辺の取引事例を参考に価格を決めることが多かったので、公示価格をリードしていたのですが、現在のデフレ時代にはほとんどが破産処理価格のものしか取引されないので、激安になっています。ちなみにガトー専科付近でも取引価格は坪30万円程度だといわれています。これは住宅地なみということです。また、路線化は恐らく150万円ほどになっているものと思われます。

最後に鑑定価格です。これは不動産鑑定士が、個別の土地ごとに理論的な価格を決めるものです。公示価格も本来は同じ物ですが、あくまで定点ポイントの価格である点で一般には適用されないものです。

これはいろいろな計算方法をミックスして算定しますが、最近では収益還元法が重視されています。すなわち土地の生み出す収益が価格を決定するという考え方です。例えば間口の広い土地と狭い土地は利便性が違いますから価格も違ってきます。また利用していない更地と、人気のビルが立つ土地では収益性が全く違いますから、価格も全く違ってきます。隣り合わせの土地が150万と30万というのは当然あることになります。

このように地価にもさまざまなものがあることが混乱を招いています。現在の不況の最大の原因は、土地神話が崩壊し、銀行の不動産担保金融が崩壊したことから、資金繰りにつまった企業がリストラや倒産を余儀なくされ、それがまた地価を下げるというデフレ状態にあるといわれていることは先ほども述べましたが、この大手通りにはその当事者が目白押しです。人が来なくなって収益が上がらなくなった店が、もし銀行借り入れに頼った経営をしていたとすると、担保評価が5分の1に下がったとすると、残りの5分の4を返済できるはずがないのです。

地価の説明が長くなってしまいましたが、出店者としては立地は決められてしまうわけですから、残る要素の中で完全競争を避け、いかに不完全競争を目指すかがポイントとなるわけです。

珍しいものを並べるのが最大のポイントであることは言うまでもありませんが、目立つ陳列、看板の設置、店主自らの目立つファッション、衝動買いを誘う語り、駆け引きを楽しむお客のあしらい、など打つ手はいくらでもあります。

ちなみに私は、不良在庫のタオルの販売をメインにしていましたので、安さと個性的な柄を前面に出し、「蔵出し生タオル、安い」と書いた看板を立て、60年代のレアなキューピーを看板娘として置きました。ところが最初から2000円と書いたため、開店早々にこだわりのおばさんにゲットされてしまいました。最初は10000円くらいにするとかオークション形式にするとか工夫はあったはずです。

実は今回私はフーテンの寅さんのように、ゆったりとした語りの商売を楽しみたいと考えていたのです。越州仙人と名のって。ところが目先の売上に目がくらんでしまいました。やはり人は利に弱いものです。

ちなみにこの日の売上は6万円ほどでした。ネット上の某フリマサイトによると、売上1万円を確保するのが次回も出店するポイントのようです。まぁ、私の場合は不要品は僅かで、不良在庫がほとんどですからこの基準には当てはまりませんが。

*****  経済学的アプローチを意識しすぎて堅い内容になってしまいましたが、続いて続編もご覧下さい。

 


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