{
「日本経済の破断界」を読んで
高橋乗宣著「日本経済の破断界」という、おどろおどろしいタイトルの本が8月末に出版されました。あまりにおどろおどろしいので、怪しげな予言本と間違えてしまいそうですが、乗宣氏は長らく三菱総研の主任研究員をしてきた有名なエコノミストです。
数ある銀行系、証券系、政府系シンクタンクの中でも、三菱総研は常に慎重な、悲観的な分析をすることで知られていましたが、それは乗宣氏の影響でもあるのです。
私はバブル時代から、氏の分析に目を通してきましたが、読めばなるほどと思う反面、現実は杞憂に終わり、予測ははずれるということの繰り返しでした。ところが、世の中が変わるということは恐ろしいもので、バブル崩壊後はことごとく的中するようになってしまいました。
ちなみに昨年のタイトルは「2002年日本経済 21世紀型世界恐慌の最初の年になる」でした。
アメリカの景気後退を明言する人は多くはなく、輸出頼みの景気回復という筋書きが平ちゃんを始めとする主流派でしたが、氏は早くから一貫してアメリカのニューエコノミーはまやかしで、バブルがはじけるとドルが暴落して、世界恐慌の恐れがあると指摘してきました。
ありがたくないことに、この筋書きがリアリティをもつようになり、平ちゃんも金融危機を認め、不良債権処理とデフレ阻止の政策総動員を明言するようになりました。
もはやまったなし、時間との戦いというのが共通の認識です。但し、乗宣氏の本は、小泉内閣改造と竹中金融大臣誕生は織り込んでいませんでしたので、小泉内閣に構造改革はできないと断言しています。そして、2003年3月危機を予測しているのです。
さて、現実はどうなるのかわかりませんが、このところ平ちゃんのハードランディング発言があるたびに、株価はバブル後最安値更新を続け、与野党から責任追及の声が上がりますので、本当に内閣がもたないのかもしれません。しかし、そうなると日本に構造改革能力なしとの烙印が押されることになると思うのですが。
それはさておき、この本の章立てを見てみましょう。
1、火の車の日本経済
2、もう「飛ぶ」しかない
3、100年はマイナス基調のGDP
4、ついに始まったドルの終焉
5、日米欧同時不況へ
6、新しい資本主義としての市場主義
1章はだいたい想像できると思います。
2章は、清水の舞台から飛び降りる覚悟を迫っています。全てやわやわと先送りの体質では、もう後がないと警告しているのです。
3章では、破壊と創造なくしては構造改革は進まず、人口減少と相まって、日本の縮小は決定的になると警告しています。
4章では、アメリカ経済の問題を指摘しています。
アメリカは「IT革命」という詐欺話を作り、世界中の金を集めてギャンプルをやってきました。ところがエンロン等の破綻にみるように、粉飾決算で詐欺を膨らませてきたにすぎないことが発覚し、株安、ドル安が続いています。いわばバブルがはじけた状態です。ところがアメリカ人は個人貯蓄がありません。ですから、リストラと同時に個人破産が激増しています。国内消費堅調というのは当局のマジックです。
そもそも世界中から集めた金の最も大口は日本です。日本の機関投資家がやり場のない金を投資してきました。これを引き上げればドル暴落を招き、アメリカの消費にぶら下がっている世界中、もちろん日本も大変なマイナスです。そういう一蓮托生の運命にあるのです。
日本は10年不況ですが、巨額の対外債権国です。一方アメリカはこの前まで絶好調と浮かれていましたが、巨額の対外債務超過国です。金持ちが貧乏浪費家にすがっているようなものです。サラ金と多重債務者の関係に似ています。
こんな危うい立場のアメリカが、化けの皮のはがれた今、すぐに立ち直れるはずはないのです。いや、だからこそのアフガン叩き、イラク挑発、北朝鮮いじめなのです。日本が、困った時に神風だのみをするのと同様です。
5章は、アメリカの消費に世界中が依存してきたことから当然のことです。
6章は、20世紀型の資本主義を、基軸通貨としてのドル本位制を基本とするIMF体制ととらえ、そのIMF体制が完全に終結し、本当の市場主義が始まるとしています。
終章というのは、普通希望的観測が書かれるものですが、最後まで警告のみですので、息が詰まりそうです。しかし確実に売れる本なのです。
長岡の商工会議所でも、氏の講演会をしたことがありますが、終了後、参加者の口から、「聞かんばいかった」という言葉が何度も聞かれました。
悲観論は現実の行動を慎重にさせますので、経済を停滞させます。本来こういう本は売れてはならないのですが、売れてしまうことに現実の問題があります。
さて、新古典派経済学の中に、リアル・ヒジネス・サイクル理論というものがあります。これは、景気循環をもたらすものは、技術革新やオイルショックのような供給側の現実的な変化だけで、マネーサプライなどの金融政策や物価水準などの名目的な変動には影響されないというものです。
すなわち「マネーサプライから景気」というふうに考えるのではなく、合理的期待をする人たちが景気の先行きを正しく読むが故に、マネーサプライが変化する、というわけです。ということは、人々の先行きに対する判断が景気循環を作ることになります。
これに関係して、今から60年も前に、シュンペーターは資本主義の衰退を予言しています。それは、資本主義はその非常な成功から自らを衰退させる。投資機会が減少し、産業が官僚化し、起業家が消滅する。ゼロ成長の元で利子率がゼロに近づく。というものです。今の状況そのままではないでしょうか。
言ってみれば、高い屋根の上に上がってみたが、下を見下ろしたら立ちすくんでしまい、身動きできなくなったようなものです。
そしてイノベーション (革新) のみが衰退から救うと結論しています。イノベーションが人々の合理的期待を変化させるということでしょうか。
もちろん現実には金融政策も効果はあるのですが、グローバル経済の中では国家間の問題の投げ合いにすぎず、大きな流れは供給側のショックに依存しているのかもしれません。
例えばオイルショックは、世界中に省ネルギーと産業構造転換をもたらしたし、インターネット革命は国境を越えた情報とカネの流れを作り出すことによって、世界経済を新しい局面に当面させています。
バブルの傷を引きずる日本は、調整に時間がかかっていますが、アメリカも自らまいたタネにもかかわらず、調整にてこずっているというところでしょう。なにしろ、1極支配とインターネツト革命は相容れないものだからです。
世界中の調整がうまくいかなければ、第三次世界大戦への道もあるでしょうし (但しこれは、国対国というより、民族、宗教が全面のテロ戦争でしょう。現に始まっていますが)、 うまくいけば参加型資本主義 (支配型でないという意味で) へ移行するということでしょうが、どうでしょうか。
独裁者が反省するということは古来からないようですし・・・。