デフレを語る

 

おひさしぶりです。とても評判の悪い初級経済学研究通信ですが、政府がデフレを認めたということで、ゾンビのように蘇ってきました。

さて、デフレです。インフレやデフレはあまりに有名ですから、ご存知ない方はいないと思いますが、戦後の先進国の中では、これが初めてだということになると、ちょっと深刻だということがわかると思います。

デフレは「供給過剰からくる継続的な物価下落」と解説されることが多いと思いますが、インフレに慣れた消費者にとっては、物価下落はよいことではないかという意見がどうしても聞こえてきそうです。

物価下落は企業の業績不振を招き、リストラや賃下げによって労働者の購買力を低下させ、不景気を助長し、販売不振に陥った企業がさらに値下げする、というスパイラルに陥る、というのが一般的な理解でしょう。このスパイラルをどう断ち切るのか、その経験がないだけに大変なわけです。

ちなみに、以前「合成の誤謬」の解説をしましたが、景気が悪くなると、あるいは収入が減少すると、消費を減らして貯蓄を増やそうとするのが合理的な行動です。

しかし、これは全体の消費を減らして、不景気を助長します。逆にこんな時こそ浪費をすれば、不景気は解決するかもしれません。でも、理屈はわかっていても、そうはしないでしょう。この問題が経済を不安定にしているのです。

以前の配信「底値買いの経済学」の中で、私は一部のエコノミストが主張する「よい物価下落」と「悪い物価下落」の区別に疑問を投げかけています。ユニクロの価格破壊は「よい物価下落」だというのですが、ユニクロにとっては安く売っても利益があるのですからよいのでしょうが、他社にとっては価格競争を受けざるをえず、採算無視の安売りに引きずり込まれます。これは、業績不振、リストラにつながることは容易に想像できることです。

やはり物価下落はすべて悪いのです。但し、断わっておきますが、景気がよい時には安売りの連鎖反応は起こりません。どうぞご自由に、って感じ。うちは高いの売るからさぁ、というわけす。

ちなみにあの有名な1929年の大恐慌の時はどうだったのでしょうか。

株が暴落したのはあまりに有名ですが、物価は4年間で25パーセント下落し、33年の失業率は25パーセントになりました。20年代のアメリカは好景気でいわゆるバブル状態でしたが、設備投資が旺盛になり、供給が増したところで、消費者はひととおり買い終わり、需要が減少し、物価が下落し始めました。この時、政府は財政赤字を防ぐために均衡予算、財政支出の切り詰めをしたのが、命取りになったと言われています。

ちょうど97年の橋本内閣における財政再建、消費税増税策と同じだと思いませんか。なんで過去の失敗に学習しないのかと思うでしょう。

これは認識の違いなのです。97年当時、政府は景気は回復したと考えていました。だからこその財政再建なのです。しかし、その結果は無残にも11月からの金融危機でした。

バブル崩壊後の景気対策で景気は回復したと考えていたのですが、実は金融が不良債権の塩漬けのために、正常に機能することなく、モルヒネ漬けの体にメスを入れたためのショックだったということです。

あわてて、ICUに入れて、小渕政権は管だらけにしてモルヒネ漬けにしたのです。だから、まず不良債権処理をして、金融を機能させなければ、また二の舞になってしまいます。しかし、治療はすでに新薬を試すしかないのです。

しかし新薬には抵抗があります。特に日銀やさまざまな権威がこれに反対をするでしょう。それを押し切るためには、まずデフレ宣言、つまり重態宣言をしたわけです。

次に新薬の副作用に反対する権威を押さえ込む強力なリーダーを担ぐことです。ここがまた大問題です。自民党には権威を抑えるリーダーは出るかもしれませんが、マスコミや国民を納得させられるリーダーを出せるのかどうか。それが問題でしょう。

景気というのは、消費者の心理状態が作り出すようなものです。みんなが先は明るいと思えば明るくなるし、暗いと思えば暗くなるのです。事実は1つでも、信頼されれば明るくなり、信頼できなければ最悪のシナリオで行動するでしょう。これは奈落の底です。それだけにリーダーは大切なのです。

小渕院長は、長老の執刀医を「平成の高橋是清」とかおだてて連れて来て、なんとかICUをまとめましたが、今ではボケが進みました。今度はメスの切れ味が必要でしょう。

まぁとにかく、政府は製薬会社を呼び集めて、あらゆる新薬の効用と副作用の検討を急いでいます。どうなりますか。平成の徳政令もあるようですよ。

 


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