バブルの再検証

さて、バブルの再検証です。

皆さんはバブル時代をどのように感じて生きてきたのでしょう。

私などは特に恩恵はないものの、世の中の明るさに引きづられて、楽しく遊ん でいました。個人的には、むしろ引き締めのための高金利政策に喜んだ方で す。私は9.7%のワイドに飛びつき、ますみママは8.6%の定額貯金にすが りつきました。結果は御存知のように、ますみママの圧勝です。私のワイドは 5年が経過すると放り出され、それきり0同然の憂き目にあっています。ます みママの定額は、10年間のウィニングロードを駆け抜けて行きました。 以来、私の信用は地に落ちました。私が今こそ株だ、と叫んでも相手にして もらえません。

さて、それはともかく、バブルの再検証です。

バブルが1985年のプラザ合意に始まったというのはあまりに有名な話 です。双子の赤字に悩むアメリカが、G7で円高ドル安誘導を迫ったのです。 「国際協調」の名のもとに行われたのがポイントです。   ちなみにこの頃の為替レートは、240円程度でしたが、またたくまに180円程度まで円高になりました。円高は輸出企業にとっては大変です。円高不況を恐れた政府は、徹底的な金融緩和を図りました(6.0から2.5パー セントへ)。   ちなみにこれ以前の状況は、1979年の第二次石油ショックの際、狂乱物価を恐れた政府は、金融引締めで押さえ込むことに成功していました。財政的には財政再建の途中にありました。そして、金融業界は金融自由化の流れの中で、収益源としての貸し出しの強化を迫られていたのです。

さて、円高差益を吸収した輸入企業は、金融緩和と銀行の貸し出し強化 の流れを受けて、株式投資が活発化します。同時に、大企業は銀行を離 れて、株式市場から金を集めだしました(エクイティファイナンス)。   そこで、銀行は中小の不動産会社への貸し出しを強化しました。おりから、 株式市場は絶好調でしたから、東京市場が世界の3極になると、世界中 の企業が東京事務所を強化するということで、オフィスが絶対的に不足 するとあおられ、都心の土地の上昇が始まりました。最初は信託銀行、 やがて都銀からノンバンクへの融資、そして地方へも波及していったの です。こうして、株と土地のバブルが発生したのです。

1987年にはすでにバブルは始まっていましたが、ドル安を防止する という「国際協調」の名のもとに(ルーブル合意、ちなみにこの頃の為替 レートは120円位)、89年5月まで、金融緩和を継続しました。   10月にはブラックマンデーが起こり、日本は海外への資金供給を必 要とされ、緩和を継続したのです。その一方では、土地高騰を阻止する 政策がとられましたが、効果はありませんでした。大蔵省は長年の願いだった財政再建のため、バブルを喜んでいた節があり、橋本大蔵大臣 はバブルの元凶と非難されるようになったのです。

こうしてバブルは本格化します。景気も過熱し、1989年になってようやく、 金融引締め(2.5%から6.0%へ)、地価税導入など、政策転換を始めた のです。そして年末の39000円を最後に、90年には株価が下落します。 銀行の不動産業への融資の総量規制がとられ、まもなく土地も下落を始 めました。

こうして91年には、金融スキャンダル、不動産倒産の時代が始まったのです。
あとは、その後10年間同じような時代を過ごしています。

さて、戦後初めての量的緩和、調整インフレ政策の中で、ジャブジャブ溢れた マネーは、いったいどこに行くのでしょうか。みんなが「こっちこっち」「パス パス」と手招きしているような気がするのですが、どうでしょう。

当面の注目は、自民党がどうなるのか。変わる気があるのか。ないのか。 だと思うのですが、いかがでしょう。株も間違いなく底値圏でしょう。夏には 完全に上昇に向かうはずです。

確かに儲かるものは何か。マネーはそれを探してさまようでしょう。 そこでは、魚沼コシヒカリを買い占めて転売すれば必ず利益がとれる、という ような筋書きを描いて動くはずです。レアなもの、というのが絶対条件です。 W杯のチケットなども可能性がありますね。あるいは、バイオテクノロジー では、DNAとか染色体とか、精子とか。妙案があったらお知らせください。



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