光の春

2月14日はバレンタインデーである。はたして無言はチョコレートをもらえるのだろうか。

そんなことはどうでもよい。別にひがんで言っているわけではない。無言だってもらうのだ。「期間限定サービス」に登場する着物美人からもらったのだ。ざまあみろ。

バレンタインデーにチョコレートを贈るのは、日本のチョコレート・メーカーのマーケティングの偉大な勝利である。それは素直に称えるとして、欧米ではどうなっているかというと、やはり愛の告白の日には違いないらしい。

もともとは今から1700年以上も前の、ローマ時代までさかのぼらなければならない。偉大な司教バレンティヌスの殉教の記念日が2月14日であり、お祭りをするうちに愛の告白をするようになったという。

ならばなぜか。それは、この頃になると小鳥たちが愛の営みを始めるからである。愛のささやきを始めるからなのである。

小鳥に限らず、生物たちはこの頃に春を感じることが多いようである。その理由を探るには、季節の変化を根本から考えなければならない。

季節を知るにはなんといっても、「二十四節季」を見るのが一番であろう。

12月20日頃の「冬至」が昼の時間が一番短いというのは、誰でも知っているが、気温が一番低いわけではない。気温は、温まりにくく冷めにくい大気温度の変化であるから、昼の長さ、日照時間の変化より遅れれて変化が現れる。

冬至から2週間後が「小寒」、さらに2週間後が「大寒」である。そして、この頃が一番寒いということも誰もが知っていることである。

さらに「立春」「雨水」と続く。

立春はよく「暦の上の春」とも言われるが、それは大きな間違いである。確かにまたまだ寒く、越州では雪の日も多いのだが、光は冬至から1ヶ月を過ぎて、強く雄雄しくなり、気温もゆるやかに上昇を始める。そしてその変化を感じて、生物たちが春の行動を始めるのである。

雨水は雪が雨に変わるという意味である。まさしく、一歩一歩春に向っているのである。そして、バレンタインデーはだいたい雨水の少し前になるようである。

小鳥がさえずり始めるのも無理がない。野生生物たちは変化にすばやく対応することによって生き延びることができるのであるから、寒くても行動を始めるのが当然である。

もし、これをお読みの読者が、3月になったらとか、春になったらとか、雪がとけたら、などと考えていることがあるなら、すぐに行動に移るべきである。変化への対応の早いものが生き残るという法則は、おそらく人間にも共通だと思うからである。

ところで、清澄房には小さな水槽が並んでいる。中には長岡の街中の川でとった小魚が泳いでいる。この中に、タナゴ(正確にはタイリクバラタナゴ)がいるのだが、春になるといわゆる婚姻色と呼ばれる第二次性徴が現れて、多少大げさではあるが、バラ色に染まる。

この清澄房のタナゴも、今年も見事にバレンタインデーに変身したのである。見事というしかないのではないか。

 

さあ春だ。

窓の外にちらつく雪を眺めつつ、無言は思うのだった。しかし、あたりは一面雪の中である。

 

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