光の春 続編

前回は、光の春に生物が対応するということであった。

具体例を加えておきたい。

まず、最近では春一番や黄砂よりも、すっかり春の代名詞になったのが、花粉症である。

杉花粉症は今や知らない人がいないほどに有名になってしまったが、越州で最初に花粉の飛散が観測されるのは、だいたい1月下旬の晴れた日である。

もちろん大寒の時であるから、気温の上昇に反応したものとは言いがたい。やはり光の春に反応して目覚めたものと考えられるだろう。

もちろん最盛期は3月中旬からであり、気温の上昇と乾燥が追い風になっていることは、言うまでもないのだが。

ところで、人間の体はどうだろうか。

風呂に入ったときに試していただきたいのだが、逆性石鹸を使って体を洗う場合、いわゆるアカが湯桶の中に浮くのではないだろうか。その量に注目していただきたい。最近多くなっていないだろうか。

これは老化した皮膚が剥がれ落ちたものであり、脱皮の結果である。皮膚の新陳代謝がさかんになってきていることを表しているのである。

もう一つ、頭からはフケが出る。乾燥肌ならばサラサラと、脂肌ならじっとりとフケがたまっているのではないだろうか。

もし、無言の言うとおりであれば、体が冬眠から目覚めて、春を迎えているに違いないのである。

恐らくは春の強い光の刺激を受けて、体が反応したのであろう。

このように、生物は生き残りの知恵として、変化にすばやく反応することが本能づけられているようである。

今、日本は小泉構造改革ともてはやされているが、構造改革というのはそんなに生易しいものではないはずである。幕末維新の革命、第二次大戦の敗戦に継ぐ、第三の革命期だと主張する人も多い。大前研一氏などは、日本はスペイン・ポルトガルのようになる、と脅迫しているほどである。

戦後50年以上続いた成長経済が、すでに過去のものになっている以上、成長に依存しないシステムの構築が不可欠であるし、個人の生活でも成長に依存しないスタイルにシフトしておくことは、生き残る術であろう。

いまもし、読者の中に、景気回復を待ち望んでいる人がいるとすれば、望むのは自由ではあるが、反対にも張るだけの慎重さを忘れないで頂きたいのである。

戻る