文化を滅ぼした成金

無言の生まれ育った家は、繊維製品の問屋であった。が、ご多分にもれず、時代の流れにとりのこされて、店を閉めることになり、倉庫・物置の大整理に無言もかけつけることになったのである。

会社の倉庫はともかく、個人の古い物置は、アンティークな物が溢れ、古き時代に思いをはせるに十分であった。

その物置は、空襲後に最初に建てられたバラックの屋根裏にあり、通称「ねずみ3階」と呼ばれていたところである。

現在も一部は使われていたが、それは入口の近くだけであって、奥にいくほど古く、一番奥にいたっては見たことも聞いたことも無い闇の世界であった。

この店が全盛期を迎えたのは、昭和30年代であろうか。その頃は、大勢の住み込み社員がいて、社長である爺さんは、成金として毎日芸者遊びに没頭し、会社の金を使い込むことに余念がなかったという。

税金を払うことは万死に値するという価値観であり、会計制度も会社制度も関係なかった倣岸不遜な爺さんであったという。その分遊び仲間には、人気抜群であった。

バラックからのスタートで、本宅を作り、倉庫を増築し、別宅を作りという流れの中で、常にいらなくなったものの始末場所として、ここが利用されてきたらしい。

別宅ができてからは、成金で集めた物はそちらに移したのであるから、金目のものはあるはずもないのであるが、それにしてもここのお宝はすさまじい。

古いものでは、戦前の皮のランドセルや教科書、タンスに古着などがあった。これらは、爺さんが戦後になって再婚した連れ合いの物である。戦争中に疎開しておいた品物であったらしい。

大正生まれの人であるから、品物はわりに豊かだったようで、皮のランドセルも教科書も、物理的には今でも使えそうなものであったし、恐らく菓子の製造に使ったであろうまげわっぱのふるいや蒸し器にいたっては、伝統工芸の類であるから、着色していることを除けば、何も変わっていないのである。

昭和20年代は物のなかった時代というにふさわしく、叔父さんのランドセルはファイバー製の、紙細工のような代物であったし、どれをとっても見事にゴミであった。

30年代になると、物が揃いだしたらしい。叔父さんが大学に行ったのもこの頃で、浪人時代の勉強道具から、大学時代の本、ノートにいたるまで、りんご箱のぎっしりと詰められ、縄でがんじがらめに縛られたものが、実に5個もでてきたのである。

その中にあった金銭出納帳からは、「物の価格を検証する」のネタを利用させてもらったわけであるが、几帳面な人であったらしく、見事なまでに教科書から新聞のスクラップまでが、そろっているのである。

その後、別宅ができて、お宝は引っ越して行ったのであるから、どんなものがあったかは想像がつかないが、大きすぎて持っていけなかった屏風や、座敷用のすだれや夏ふすまの類が残っている。

屏風はオヤジの結婚式の時に買ったもので、それきり物置の主になり、捨てるにも大変という状況になっているし、その時の座布団や塗り物のお膳が、桐箱に入れられて並んでいた。。

あと目立つのは、火鉢が大小合わせて15個、漬物樽が大小あわせて10個、木のたらいや桶やおしめ入れ、座卓などである。

いずれにしてもほとんどが完全な木質であるから、バールで叩き壊して、薪にしたのであるが、この時に無言は感動したのである。

なんの変哲もない汚い樽も、たがをはずすと、ばらばらとくずれ、見事にカーブした細い壁板が、竹くぎでつながれているのがわかる。さらに底板も、竹くぎでさりげなくつながれているのである。

もちろん桶やたらいもそうであるし、タンスも同様である。一分のスキもないのであるが、バールで叩くと次第に離れ、全ての部品が、ほぞとほぞ穴の組み合わせだけでできていることを証明した。

これらがみんな名もない大工さんの仕事だったのである。いわゆる巧みの技といえるのではないか。

それに比べて、無言の知っている50年代以降のものは、木質のものは糊とくぎで、他は樹脂プラスチックでできていて、燃えないゴミ、粗大ゴミとして始末するくかないやっかいなものである。

また、昔のりんご箱は、一見するとざらざらでろくなものではないが、すべて秋田杉と刻印されている。ダンボールのない時代の箱はだいたい木箱だったというから、秋田杉がもてはやされていた様子が目に浮かぶようである。薪には最高である。ただし釘つきであるが。

片付けながら、豊かな大正時代これも (バブル時代らしい)、次第に不況になる昭和初め、そして何もない20年代、復活の3、40年代、伝統の技の崩壊する50年代が、見事に現れていると感じた。

物をしまっておけばいつか役にたつかもしれない、と昔の人は言ったが、確かに何十年たっても、良質な焚き物になるのて゛ある。それに比べて今のものは、捨てるにしても、分別しする手間がかかるし、環境への影響が大きく、いずれは有料化の道をたどることは確実である。

これを文明といっていいのだろうか。このリサイクルが完璧になれば、文明といってもいいような気がするが、今の状態では、文化を滅ぼした成金としか思えないのである。

ああ、こんなことをパソコン相手に書くなんて、どこかおかしい。ですなぁ、あぁぁぁ。

 

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