ホテル観音菩薩

「ホテル観音菩薩」をご存知だろうか。

ドライブイン観音山なら知っているという人はいるかもしれないが、ホテル観音菩薩はあまり知らないだろう。地図にもない、電話帳にもないからである。

何故か。無言が瞬間的、発作的にネーミングをしたもので、看板には「けやき苑」と書いてあるからである。

「けやき苑」は特別養護老人ホームである。長岡の北西部に5年前にできたものだという。

なんで老人ホームがホテル観音様なのか、とお叱りが聞こえてきそうである。その声に無言は答えなければなるまい。

先日無言はここを初めて訪れた。入口を入ると、テラス風の明るいロビーになっている。そして、奥まったところにオープンカウンター形式のフロントがあり、若い男女のスタッフが、大きなリボンタイを結んだ紺色のしゃれた制服で迎えてくれた。

無言が名乗り、約束をしていた松浦さんに会いたいと言うと、「副苑長ですね」と確認された。「いや、若い女性なんですが」と言うと、「じゃあ、副苑長です」と答え、奥からふくよかな女性が現れた。

さっそく用件を済ませると、そのままロビーのテーブルに案内され、コーヒーをご馳走になりながら、松浦さんは話し始めた。

ここのロビーは、入所されているお年寄りと面会の人が会ったり、地域の人がコーヒーを飲みに立ち寄ったり、ロビーに隣接する床屋さんに出入りしたりと、いわゆるコミュニティセンターとしても使われているという。

壁にはパーチワークキルトや、絵が飾られていて、隣接するこ座敷には仏壇があり、お年寄りが亡くなると、ここでみんなでお別れをするのだという。闇から闇へとかたずけられるのではなく、普通の社会と同じにあつかわれることに安心感があり、非常に好評だということであった。

片側一面はガラス張りになっていて、外はミニ動物園になっている。そこには、アヒルやカモ、犬、ヤギ、ウサギ、ハトなど、昔から飼われていたような動物がのんびりと過ごしているという。そして、近所の子ども達がそこで遊び、お年よりはそれを眺めたり、元気な人は外に出て一緒に遊ぶという。

動物園の小高い築山の上には、大きな観音様が立っていて、景色を引き締めている。

観音様は最もよく知られた仏様である。、それは正しくは観音菩薩、または観世音菩薩である。言葉どおりに解釈すると、世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩である。菩薩とは、仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者であるという。が、一般には菩薩も仏様である。救済の仏様である。

松浦さんは、この施設の説明をすると同時に、無言のことや、長岡の街のことなども、聞いてきた。

左サイドに小さなリングをつけたしゃれたゴールドのフレームの眼鏡をかけた大きな瞳が、こちらを見透かすかのように見つめ、抑制のきいたトーンながらも、年相応に華やいだ表情も垣間見せ、にこやかな微笑みで話し掛けられると、無言も自然と饒舌になってしまうのだった。

本来関係ないような、個人的な話や、地域の話なども、ついつい話してしまうのだ。話しながら不思議な充足感に包まれるのである。彼女は、時々ポイントをついた言葉をさしはさむだけである。頭がいいことはこの上ないだろう。

「対談の名手」、これは無言の目ざす姿であるが、ここでは完全に松浦さんに完敗であった。無言はおもしろいように、松浦さんに乗せられ、語り、充足感に包まれた。

まさに、松浦さんこそが観音菩薩様であり、無言は裸にされて、赤子のように甘えてしまったという感じであった。彼女が若くして副苑長をやっているというわけが、ようやくわかったのである。

この施設は、独創的な発想をする苑長さんと、お年よりも若いスタッフも全て包み込んでしまう松浦観音様の深い愛が、車の両輪となって運営されているに違いない。無言はいつもながら、瞬間的発作的にそう確信した。

施設を退去した後、無言の頭に残ったのは、松浦さんの大きな瞳と、「ホテル観音菩薩」という言葉であった。

松浦さんは間違いなく美人である。

また、訪れてみたい、そう実感するのだった。

 

★ここだけの話

松浦観音菩薩様、もしこれをお読みになりましたら、ご一報ください。

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