老子を語る

以前、仙人とは何かを語ったところ、いろいろな方から質問を頂くことになってしまった。それは主に道家の思想、老子の思想についてであった。

そこで今回は、老子について語ってみたい。とはいっても、詳しいことは無言の知るところではない。ここではあくまでも、無言の知るところをざっくりと語ることにしたい。

まず基本的な認識であるが、老子は無言の若い時からのお気に入りだったということである。論語 (孔子) はありがたそうではあったが、なにやら小賢しい印象が強かった。その点老子の方は、自然派の無言にはしっくりしたし、無為自然という言葉の響きも、無言には美しく感じられたのだ。

孔子の場合、理想の社会を想定し、こうあるべきだと決定する。そのためにあれはダメ、これはダメといろいろな規範を設けるという主張をしている。いわば理想主義である。

しかし老子の場合には、人間の欲や営みを前提として認めた上で、許容範囲をはずさない生き方を説いている。その点で孔子よりも現実的であるといえよう。

突然話題は変わるが、今巷では国会議員の秘書の給料が問題になっている。国から秘書に直接払うことになっているが、どうやらほとんどの事務所で、事務所でまとめて山分けしているようである。これは孔子流の制度と言える。しかしこの制度は現実的でなく、法律上詐欺にあたるということになると、議員に対して総額の給料を払うように、制度を変更することになるだろう。これは老子的な制度ということである。

話を元に戻すが、理想主義ゆえに、「孔子一生就職難」などというジョークが残っているのである。就職してもすぐに衝突して飛び出してしまい、「我を知るものは天か」と嘆いたといわれている。

聖人が仁義をもって政治をやったことを、孔子は理想と捉えていたが、その時代にもすでにそれは昔のこととされ、現実には通用しなかったようである。

それに対し老子は、「上善水の如し」の言葉にあるように、柔弱で無抵抗なものにこそ可能性があると捉えていた。それゆえに衝突することはなく、いわゆる処世の術に長けていたのである。

さらに言葉を変えると、孔子は人に学び、人生を枠に入れようとしていたのに対し、老子は自然に学び、枠から人生を解放しようとしたのである。

また、孔子の描く理想の人は、「知の人」であり、エリート官僚のような頭のいい人を善しとしたが、老子は世の中がわかる人や人間通を「明の人」として善しとしている。

さて、老子の最大の思想は「無為自然」であることは周知のことである。その言葉どおりに、何もなさずに自然体であることとも理解されるが、「自然の流れに対して何事も為すべからず」と理解したほうが正確である。

無為とは何もしないことではなく、何もしないことを為すのである。

例えば、今年から学校の週五日制が始まるのだが、休みになった土曜日に何をするかが注目されている。ゆとり教育推進の立場では、勉強させられたり、塾に行くのではなく、何もしないでいいという立場で何かをして欲しいと指導している。ボーッとしていればいいとは言わないのである。これが学力重視派には評判悪く、何かをさせて欲しいというのである。実にこの問題も、紀元前から続く、孔子と老子の思想の対立の構図で理解できるのである。

老子の生きた時代は戦国時代であったから、戦いに勝ちたい時には、1歩下がって負けないように生きる方法を考えるのである。勝つための戦略を突き詰めるのが孔子流であり、負けないための戦略をとるのが老子流ともいえるだろう。

「自然の流れ」というのが老子ならではのところであり、例えば季節の流れのようなものは、人為的なものでは動かしがたいわけである。これが「道」なのである。季節の流れや時代の流れ、それらは変えることのできないものと理解して、変えようと無駄な抵抗はするなと教えているのである。そして、その中で柔軟に生きよと教えているのである。

流れに対して無為であることを阻害するものは、私利私欲である。そのためいかに欲望を抑えるかが問題となる。老子は「足るを知る」とか「功遂げ身退くは天の道」とも説いているのである。そこいらの人たちに聞いて欲しいような言葉ですなぁ。まったく。

挙げていけばきりがないので、ここらで終わりにするが、この「清澄房」の常連客のユース氏と、老子について話をしたら、彼は老子といえば「絶学無憂」だと強調していた。

これは「学を絶てば憂いなし」ということである。学ぶことを否定しているようにも思えるが、時代背景から考えると、当時の学問は儒学であり、儒家の仁義道徳を意味しているはずである。規則に縛られて、学問のための学問に堕落してしまっている儒家に対する皮肉と考えられる。

人間の幸福のためという本来の目的からはずれて、出世や私利私欲のための学問であれば、しないほうがよいと主張しているのである。もっと言葉を変えれば、「学問のあるバカほど怖いものはない」として否定しているのである。

まぁ、こうしてあげていくと、いちいちもっともだと思いませんか。日本人には、孔子孟子の儒家の教えや、老子、仏教、神道の教え (教えがあるとは思えないが) などが、混ざり合って今日を迎えていると考えられる。しかし、どの影響が一番強いかは、人によって違うのではないだろうか。一度じっくりと自分を見直してみたらいかがだろうか。

最後に付け加えるが、成長経済の時代は論語 (孔子) が重視されてきた。しかし日本は今未曾有の危機にあり、21世紀の新しいスタイルを確立しなければならない時である。こんな乱世の時代には老子がもてはやされるはずである。さらに現在は、市場原理主義経済という効率一辺倒のアメリカンスタイルが世の中を覆っているが、ついていけない人たちがノイローゼになり、どんどん病院送りになっているのが現実である。今こそ生きる知恵として、老子に学ぶべきであろう。

もう一つ、柔弱なものに可能性があるということであるが、水のほかに女性にもふれている。孔子の世界はすべて男社会であり、男のメンツやイデオロギーが衝突の原因を作ってきたのである。女は男に比べてはるかに柔らかく、受身であり、現実的であるから、戦争などはしないだろうし、もめごとがあったとしても自分の子どもを死なすようなことはしないはずである。乱世の中で男が自信を失う中で、女性の存在は大きなものになるのではないだろうか。

p.s.

老子は本当に存在したのか、というご指摘を頂きました。

確かにいろいろな論争があるようです。時代としては孔子と同じ時期であり、論語には老子の記載がないこと、老子は本名ではなく、老成した思想から名づけられたと考えられること、などから孔子によって始まった儒家の隆盛と堕落をみて、牽制の意味で遅くなって「老子五千言」がまとめられたという説があります。

しかし、かの司馬遷は実在したとも書いてあり、不明です。

無言にとってはどちらでもいいことです。死して思想は残るのですから。

 

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