森の駐車場

無言の若かりし頃、「土曜の夜は布団の上では寝ない」ことを主義としていた。

それというのも、今日のようなアウトドアブームを興すきっかけとなった雑誌「Be-Pal」の創刊号で、「土曜の夜は森へ行く」という記事を読んだからである。

それはあるビジネスマンが、土曜の夜スーツ姿のまま車で森に行き、1人静かに酒を飲んだり、本を読んだりして過ごし、日曜日に帰宅するというものだった。

さっそく無言もマネをすることにし、「土曜の夜には森へ」というのが無言の行動パターンになったのである。

ところが実際に行ってみると、困ったことがあったのである。

それは車で行きやすいところには人も来るということである。そしてお互いに怪しい奴だと意識しあうのだ。誰もいないと思っているところに突然ヘッドライトが登場するのは、実に刺激的で気が散ることである。そのうえ否応なしに犯罪者の気分にさせられてしまうのだった。

そこでよく利用したのが谷川岳の麓の山小屋であった。そこは林道からわずかに山に入るだけなのに、もうヘッドライトに追いかけられることはなくなったし、そこには森の懐に抱かれた静寂と安心感ががあった。

そこで1人静かに酒を飲んだり、考え事をしたり、本を読んだり、書き物をしたりと過ごすのであった。

さらに、今のようなオートキャンプブームが始まる前に、「源流行グルメの夜」と題した企画を何度も繰り返したこともあった。

これは仲間と2、3人で (あまり多すぎると気ままにできないので、車1台に乗れる2人というのがベストだ) 、地図にかかれている入ったことの無い渓流沿いの林道を詰め、終点で (そこにはUターンできる程度の広さがあるのだ) テーブルをセットして、渓流の水をくみ、酒宴を開くというものであった。

夜の闇というのは便利なもので、あらゆるものを隠してくれるとともに、想像力を豊かにしてくれる。そこでは酒の酔いに手伝わされて、どこまでも深い森がイメージされるのだ。翌朝になって周りを見たときに、こんなところだったのかと驚くこともしばしばだった。

また、現実的に多くの人たちに会うのは、登山口の駐車場である。ここは駐車場であるからかなり広いし、翌朝の登山のために遠くから来る人が多いわけであるから、お互いに緩衝しない。緩衝しないことの幸せを意識している同好の士なのである。

もっとも無言の場合には、翌朝の登山の前夜祭の意味合いが強く、寝酒を飲んで寝るというより、テーブルをセットしてゆったりと構え、森を、闇を楽しみながら語るというのが多いのである。いわば翌日の登山の前夜祭であった。

さて、そんな森の駐車場の中でも、無言のもっともお気に入りは戸隠高原にある戸隠植物園前の駐車場である。

ここは本道から数十メートル入った正に森の中の駐車場である。しかも夜にはほとんど車が走らない本道であるから、駐車場は静寂そのものである。

先日の6月7日の夜10時頃、無言はここに到着した。

いつも通行量の少ない道だが、この時は柏原で国道18号から離れて、戸隠に向かってからというもの、ここまでただ1台の車にもすれ違わなかったのだ。そして駐車場に入ると、そこにはわずかに2台の車が駐車しているだけあった。

無言は適当な距離を置いて車を止めると、さっそくテーブルのセットを始めた。2台の車はもう寝ているのか、静まり返ったままだった。

突然静寂を破るように、「ゴーッホ、ホッホ」とフクロウの鳴く声が響きわたった。

「ゴロスケホッホ」とか「ノリツケホウセイ」とか言われているが、そんなことはどうでもよい。まぎれもなくすぐ近くの木々の間にフクロウがいて、こちらをうかがっているに違いないのだ。

無言はうれしくなって空を見上げた。

駐車場を取り囲むように張り巡らされた枝枝の間に、すっぽりと抜けたように黒い空があり、キラキラと数限りない星がまたたいていた。

無言はますます嬉しくなり、ランタンに火をつけた。とたんにあたりが狭くなったように感じられ、光の届く範囲だけが浮かびあがった。

と、そこに1人の男がにこやかに微笑みながら立っていた。

なんとそれは、パパラギ探険隊の土田尊師だったのである。

尊師はにこやかにハの字眉を垂らしながら、「奇遇ですネェ。イイデスネェ」と言った。無言の行動パターンを熟知している尊師であるから、不思議ということではないのだが、やはり驚きであった。

「朋あり遠方より来る」

そんな喜びが重なって、2人は祝杯を交わしていた。2人の語り合いに加わるかのように、森の中からはフクロウが低い声を響かせていた。

翌朝は、空が白み始めると同時に、ホトトギス、カッコウ、アカハラといった鳥たちの声が聞こえ始め、ほどなく森の駐車場はヒガラ、コガラ、シジュウカラ、エナガ、ゴジュウカラ、ウグイスなどの、もうなんだかわからない程の音のシャワーに包まれていった。

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