古事記の記述によると、日本は「豊葦原の瑞穂の国
(とよあしはらのみずほのくに)」とされている。
もちろん言葉のとおり、豊かな広々とした葦原のように、みずみずしく美しい稲穂が実る国というくらいの意味だろう。弥生時代になって低地に定住して米作りを始めると、河川の氾濫平原や湿地は、もっとも米作りに適した土地として、豊かさを象徴する存在になったに違いない。
当時の地形と現代の地形では、かなりの違いがあると思われるが、現代の沖積平野のほとんどが、氾濫河川敷や葦原の低湿地だったと考えられる。そしてそこは美しい瑞穂の国だったのである。
日本の神様は米作りをしていたことで知られるように、神・神道・天皇と米作りは切り離すことのできない特別な関係である。そして、瑞穂とは美しさと豊かさの象徴でもあるのだ。
最近誕生した大銀行の名前も「みずほ」というようであるが、「みずほ」という美しい名前は、いかがわしい銀行ごときが名のれるものではないのである。銀行などはユダヤの流れを汲むものであって、神の国日本とは本質的には相容れないものであろう。
さらに加えるならば、この瑞穂の国にはたくさんのトンボが群れていたはずで、トンボは豊かな実りの象徴となっていたようである。すでに弥生時代の銅鐸にもトンボの姿が見られ、豊作を祈願する信仰であったことがうかがわれる。
現代でも、稲刈りの終わった頃、秋晴れの空にたくさんのアキアカネが乱舞することが見かけられるが、なんとも豊かな気分になるものである。
さて、瑞穂の国の人々が最もなじんだトンボはいったいどんなトンボだったのだろうか。
トンボの多い沼 (最近子供の姿を見ることは少ない)
葦原の広がる低湿地は、栄養豊富な止水域である。トンボはご存知のように幼虫時代、ヤゴと称して水中生活をしている。水辺から離れられないん存在である。
水辺といっても、低湿地の止水域、河川、中山間の池、河川、渓流、高山池などがあり、それぞれの環境に適したトンボが分布しているが、瑞穂の国の人々に最もなじんだ葦原のトンボは、現代では最も減少したと考えられる。なにしろ平野部は都市化が進み、湿地自体がなくなり、水は農薬等の影響で生物が棲めなくなっているケースが多い。
その点、高山池や渓流は、廻りも昔のままのところが多く、トンボも昔のままかもしれない。ちなみに日本に生息するトンボ約200種類の中で、系統的にみて古いことで知られているムカシトンボやムカシヤンマは、いずれもかなりの山中のトンボである。ムカシトンボの幼虫は山奥の渓流に棲んでいるし、ムカシヤンマの幼虫は山間の水の染み出た崖のミズゴケの中に棲んでいる。
また蛇足ではあるが、ムカシトンボの仲間は日本に1種とヒマラヤに1種、計2種が知られているだけであり、大昔には日本と大陸がつながっていたことを意味するとして興味深いし、その後の進化がなかったことも興味深い。
ちなみにトンボが地球上に現れたのは、約3億年前の石炭紀と言われている。熱帯のジャングル性の気候だったようであるが、そのせいで現代でもトンボは熱帯温暖地方に多いのであろう。
さて、低湿地の代表的なトンボとはなんだろうか。大型のものでは、アオヤンマ、ネアカヨシヤンマ、あとはギンヤンマあたりだろうか。
中型ならば、アキアカネ、ノシメトンボ、コフキトンボ、チョウトンボ、コシアキトンボあたりかも知れない。
最近の市街地の環境に適応して繁殖するノシメトンボ
小型ならば、イトトンボ類、ハラビロトンボなどが代表ではないか。
薄暗い林間にひっそり棲むモノサシトンボ
無言としては、お気に入りのアオヤンマやネアカヨシヤンマが、今のノシメトンボのように、ウジャウジャ飛び回る姿を想像するだけで楽しくなってしまうのだが。