飲水思源

「飲水思源」

中国のことわざである。水を飲む時は水源のことを考えろ、ということであるから、物には根本がある、ということらしい。

無言が水を飲む時には、裏山の取水口に思いをめぐらしている。とは言っても、そこはほんの数十メートル離れているだけであるから、思うより見るが易しで、毎朝のようにパトロールをしている。

この沢はかなり急であり、それほど立派なものでもないから、釣師もそんなには入らないと思うのだが、それでも夏の渇水期には、岩陰でイワナをつかむことができる。

イワナという魚は、立派な姿をしているのだが、こういう沢で見る時には、まるでヘビのように、水の流れる岩の上をクネクネと体をよじらせながら登って行くから不思議である。

そんな力があるから、どんな渓流でも必ず、イワナは潜んでいるものらしいのである。

この沢の岩と岩の間のプールに取水口を設けてあるのだ。ここに、口を網で覆ったホースを固定してある。あとは清澄房まで直行である。

清澄房の中では、いわゆる台所の流しに水道の蛇口を設置してある。そこに流しっぱなしにしてあるのである。流しっぱなしだから流しというのであろう。

流しっぱなしといっても、冬は渇水で止まるし、夏の終わりから秋の初めも枯れることがある。その時はまぁ困るのだが、なんといってもありがたみを感じるのは、梅雨時から真夏にかけてである。

春先の雪解け水とはいかないものの、かなり冷たい水が流しっぱなしなのだから、音を聞いているだけでも涼しいし、流しに置いた桶の中には、いつも瓶、缶、野菜、果物などが浮かんでいるのだ。これがまぁ、言ってみれば清澄房の冷蔵庫なのである。

ところが、今日のテーマは飲水思源である。清澄房の流しのことではない。

エーヤの住む長岡市は、水道の取水口を妙見堰に置いている。すなわち信濃川の上流である。信濃川の水だからまずいとか臭いとかいうのではない。信濃川の水はどこから来るのかということである。

信濃川の源流は、甲州、武州、信州の境界にある甲武信岳て゜あることは知られているが、源流というのは最も長い経路を本流と決めていうのであるから、それ以外は支流として片付けられるようである。しかし、本流でも支流でも水が流れてくることには変わりない。

主要な支流を考えてみると、甲武信岳から流れた本流が、千曲川となって信濃を漂流し、川中島で犀川と合流する。それから越後に入り、信濃川となって川口で魚野川と合流して、妙見堰に至るのである。すなわち、信州一帯、上越線沿線一帯の水を集めているようなものなのである。

ところで犀川といえば、その源流は上高地、槍ヶ岳のはずである。安曇野地方に伝わる安曇節には、次のような一説がある。

槍で分かれた高瀬と梓  めぐり会うのは  めぐり会うのは 忍野崎 

どんな物語があったのかは知らないが、槍ヶ岳の北面に降った雨は高瀬川となり、南東面に降った雨は、槍沢から梓川となって上高地を通り、安曇野で高瀬川と合流する。そこから犀川となるが、四方を山で囲まれている信州らしく、クネクネと漂流して善光寺平へと出て、川中島で千曲川に合流するのである。

槍ヶ岳の北側と南東側、すなわち東鎌尾根の分水嶺をはさんで、北と南に分かれた雨が、紆余曲折を経て長岡市民ののどをうるおしているともいえるのである。あの美しい梓川のせせらぎを思い浮かべながら飲むと、長岡市水道水もうまく感じられるかもしれない。

そういえば、無言は昔、あそこで立ちションをしたはずだが・・・。

そんなことに思い巡らせながら、今日は安曇野みやげの「わさび漬け」を肴に、「越州」をチビチビやりたいものである。

 

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