帆立貝は海面を走るのか

暑い。とにかく毎日暑くて死にそうである。

このところ長岡のエーヤ宅に入り浸っているが、この暑さはいったいなんなのだ。「いい若いもんがクーラーの部屋にこもりきりでどうするのだ」と説教をする手前、クーラーなしの生活をするのだが、頭がボーッとして、なにも考えられない。

ところで、昨日何気なくテレビのチャンネルを変えていたら、NHKで東昭教授の特集をやっていた。東教授は航空工学の権威なのだが、そんなことは無言とは関係ない。無言にとっては、トンボの飛翔のメカニズムを分析した学者として、記憶されているのである。

今回の番組では、「帆立貝は海面を走る、という俗説の真意を探る」、「トビイカの飛翔のメカニズムを分析する」、といういかにも東教授らしく、好奇心旺盛なテーマであった。齢74にもなる教授は、若いスタッフとともに、少年のように目を輝かせていたが、現代の少年にこんなに目を輝かせている子供がいるのだろうかと、ふと思ってしまうのだった。

さて、本題は帆立貝である。

俗説によると、帆立貝は海面で大きく殻を開き、帆掛け舟のように風をはらんで、移動することがあるという。その距離は、1日に数キロにも及び、海底をジェット噴射で移動する程度では、到底不可能なものであるという。

教授はこの俗説を実証するために、インターネット上の資料を集めたり、北海道や青森などの養殖業者などに問い合わせてみたが、「そんなことはありえない」と明快に否定されてしまった。365日貝を見ている漁協の人たちが否定をするということは、やはり1つの真実なのであろう。

問題は、もう1つの真実がありはしないか、ということなのである。ある特定の条件が揃った場合には特別の行動をとることがある、というのがそれである。

例えば、養殖ではありえないような個体密度の低い環境では、満月の夜になると、オスはいっせいに海面に浮かび、帆を立てて移動し、数キロ移動することによって近親交配を避けるということが、本能的に刷り込まれているのかも知れない。

あるいは大発生した場合に、食料不足を防ぐために移動するのかも知れない。

現段階ではこの俗説は否定されてしまったわけであるが、教授は諦めない。俗説がある以上は、なんらかの根拠があるはずである、と考えるのである。

無言もやはり、夢を描いていたいと思う。生物の不可思議な行動というのは、アッテンボローを始めとするヨーロッパの研究者によって、次々と明らかにされている。イカが空を飛ぶなんて、と思うのが当然であるが、映像を見せられれば、これは疑う余地がないのである。トビウオだって、ほとんどの人たちは知識があるから驚かないが、もし知らなければ、魚が飛ぶなんて信じられないというのが当然だろうと思うのである。

日本は伝統的に、こういう分野の研究者は非常に少なく、研究費も少ないことから、あまり実績がないようである。むしろ農林漁業者やアマチュア・マニアによって知らされることの方が多いようである。ところが彼らは、研究者でもなければ発表者でもないために、正確な情報が公表されることはり、多くはないというのが実際だと聞いている。

ならば、インターネットの時代の今こそ、身の回りの不思議なこと、驚きの光景を、地道に公表するように努めたいものである。なんの因果か、この文を読むことになったあなたも、ぜひ取り組んでいただきたい。

かのアンドリュー・ワイエスは、山中にこもっての創作活動を、20世紀からの逃避ではないかと質問された時に、「20世紀こそが、生命から遠ざかっているのだ」と答えたという。

例え川下に住んでいても、上流の心を忘れずに、上流からの発信に努める。それこそが「21世紀の生命への回帰」につながるはずである。アメリカ型大量消費社会の限界が明らかになってきた今こそ、それは言葉の遊びから現実のものへと変わるはずである。

さらに付け加えると、全国各地でダム建設計画が中止になった。そのことは良いことであるが、何十年もの間、ただひたすら水没する日を待って、川下の論理に屈服して、村を崩壊させられてきた水没地域の村民たちも、今こそ団結して立ち上がり、上流の思想を下流に広めるべく、オピニオンを発してもらいたいものである。人生を棒に振った代償を、マネーであがなうだけでなく、思想の復活を通して、上流からの革命を目指してもらいたいものである。

人間はまだまだ知らないものだらけである。帆立貝は必ず海面を走るはずである。

 

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