越後の男は暗愚か

NHKの大河ドラマ「利家とまつ」を、無言は楽しみに見ている。

この中で、越後の上杉景勝が上洛するシーンがあった。途中前田利家が接待をし、案内するというものであった。

ところが、この景勝は、どんなに接待をしてもニコリともしない、一言も発しない。接待する側としては、まことに扱いにくい男であった。

もともとこの時代の天下布武というのは、畿内を中心に東海地方にかけての範囲しか考慮していない。あくまでも京の取り合いであり、辺境の地はおとなしくしてしてもらえば、それでよかったのである。

越後の上杉は、先代謙信の時代から、大変に強大であるが攻めてこないという、不気味な存在であったという。ところが、秀吉が上洛を促すと、おとなしく従ったのである。当然おそるおそる迎えるのだが、あまりの無口、無愛想に利家も、秀吉も怒ってしまった。

そこで初めて景勝は非礼を詫び、越後では男は黙っているのがいいとされてきたのだと弁解した。景勝を演じる里見浩太郎が、実にボーッとしたような、暗愚のような感じをそれらしく表現していたのである。

上杉というと、謙信が毘沙門天にこもり、戦嫌いで生涯妻帯をしなかったという神格視された人格者と伝えられていたが、この景勝の様子をみると、謙信もどちらかというとボーッとしていたのではないかと推測してしまう。

景勝はこの後で、秀吉の死後、石田光成の誘いに応じて西軍に加担し、結局負け組となって、米沢に飛ばされるのである。

この時にも光成は、景勝が律儀で強大だと信じていたために、最大のよりどころとしたのであるが、多くの武将は光成嫌いということもあって、光成に従うか家康につくかで日和見をしていたことからすると、景勝のみが律儀ではあるが時代を見る目がなかったのではないかと思うのである。

もちろん、だから暗愚であるというのは、大げさな話なのだが、戦国時代には生き残りをかけて、情報戦、駆け引きに明け暮れたと いう中で、あまりに疎いと言わざるをえない。

時代は変わって、幕末・維新の英雄として、長岡では河井継ノ助が知られている。

全国にも知られるほど開明的で、藩政改革の旗手だったということであるが、戊辰の役で西軍を迎えた談判で、非戦を主張しながらも、結局は全面戦争に引きずり込まれたというのは、どうも合点がいかない。

司馬遼太郎によれば、「人は立場によって生きる」ということで、幕府親藩の牧野藩家老としての立場に生きたと表現されているが、錦の御旗を掲げる西軍とは戦うべきではなかったのではないかとも思えるのである。時代を見る目が曇ったのではなかろうか。

現代においても、政界においては、「角さんの御恩」という言葉が選挙の度に繰り返され、今回の衆議院補選でも、お嬢様の秘書給与問題のことはまったく不問のまま、他党に移った元弟子までもが、「御恩返し」に馳せ参じている。

「越後の男は律儀で生真面目」という評判通りの、美しい物語ではあるのだが、角さんが逮捕された1976年から、時計の針が止まったままなのではないかと疑いたくもなってしまう。

評判には続きがあり、「越後の女は色が白くて、がまん強い働き者、男は気が利かないで使い物にならない」とも言うらしい。これはもしかして暗愚ということではないか。

堺屋太一氏によれば、21世紀の日本は知価社会となり、商人的な才覚が一番重要になるという。ところが越後の男というのは、この商人的才覚には最も遠い位置にいるのではないか。

良くも悪くも越後は農民社会そのままなのではないか。

はたして越州の夜明けはいつになるのであろうか。

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