たまに飲むならこんな女性

 

土酌の相手としては誰がいいか。これが今回のテーマである。

もちろん有名人の中で選ぶとしたらなのだが。しかしこういうテーマは無言向きではないですな。女優だったら、あれもいいこれもいいと迷ってしまう。

ああ、苦しい   建設工事中

何ヶ月たっても工事中である。さすがに反省して書くことにする。但し突然テーマは変わってしまった。

無言が21歳になった夏、北海道を独り歩いた。

夏休みとはいっても、東北地方を北へ向う列車は、誰も無口だった。友人たちとホームで別れて、無言は1人北へ向ったのだった。なぜ北へ向うのか、特に理由はなかった。ホームで別れた仲間たちの中には、ここ数日間楽しく過ごしたK子もいた。「若者は荒野をめざす」というセリフがあるが、同じように北をめざすのだ。

夜中の青函連絡船の待合室には、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が繰り返し流され、外は吹雪かと思うような暗さを漂わせていた。

こうして北海道に足を踏み入れた無言は、函館の駅前でかに族の若者たちと、朝市で買った茹でたてのカニをむさぼり、すっかり放浪気分で旅を始めた。

札幌では友人の妹M子と、お決まりのビール園へ。やさしい友人の妹にしては気の強い女だったが、それが北海道らしさなのだという。

 

続いて立ち寄った炭鉱の町砂川では、「北の宿」なる割烹旅館に上がりこみ、東京のT子に手紙を書いた。T子は当時無言のもっともお気に入りの女性だった。しかし、お気に入りであるが故に、二人の間には特別の関係はなかった。彼女の前では、無言は意識過剰となり、ほとんど中身のある会話はしなかったのではなかろうか。

T子はこんなイメージである

礼文島の民宿では、東京から来た保母のY子とT子と意気投合し、行動をともにした。別れを惜しんだ2人は、無言の向った利尻島に追ってきて再開。雨のために登山をあきらめた無言は再び彼女らと行動をともにした。夜はお決まりの酒。しかし、3日目ともなると、旅の話よりも人生の話へと話題は深まり、東京での再開を求める二人を置いて、無言は1人サロベツ原野へと向った。

サロベツは何もない。そうガイドブックに書かれていたことが、無言をサロベツに向わせていた。サロベツ原野は小雨の中だった。こんな天気ではなおさら人はいない。わずかにいたのはカメラ機材を担いだカメラマン1人だった。彼は30代だろうか。写真を撮りに歩いているのだと言う。その彼に薦められて、豊富温泉に宿をとった。

豊富温泉はひなびた宿だった。もっとも無言に絢爛豪華な宿は似合うはずもなく、こじんまりとした宿は、うってつけでもあった。宿にはカメラマンと無言のほかにはお客の姿は見えなかったことが、いっそうサロベツ原野を魅力的なものにしていた。

夕食の時間になると、30半ばくらいと思われる着物姿の女性が、料理を部屋に運んできた。特別に美人というわけでもないが、楚々として品のある女性だった。この宿の女将だという。

「湿原がお好きなのですか」

と女将さんは言った。一人旅で泊るお客はだいたい写真好きか、湿原好きなのだという。今日の泊りは予約の家族連れ以外には、カメラマンと無言だけらしかった。

無言が「時間があったら、サロベツの話を聞きたい。それと地酒も」と言うと、「ちょっと待ってくださいね」と言って部屋を出た。

ほどなく清酒「男山」を盆にのせて、女将さんは戻ってきた。

「さぁ、おひとつどうぞ」

そう言って、女将さんは徳利を差し出した。無言は実は日本酒はあまり好きではなかったのだが、雨のサロベツ、一人旅、ヒマな旅館というシチュエーションが、無言を地酒へと向わせていた。

地味な色の着物の袖から伸びた手は、真っ白く細い。徳利を持つ指も、白くすらりとして、徳利を包み込んでいた。無言はどうみてもはるかに年の離れたこの女将さんに、怪しい色気を感じ始めた。

「サロベツは何もないところなんです」

女将さんは語り始めた。

最近でこそ、ガイドブックの片隅にのるようになってはきたが、北海道を1週間程度でまわるようなコースにはとても入れてもらえないために、よほどのファンか、物好きでないと、ほとんど素通りしてしまうとのことだった。それでも、年々増える写真愛好家には人気が高く、湿原の彼方にの海に浮かぶ利尻山の写真を見て、サロベツを訪れるのだと言う。そして、それが自分には嬉しいのだと静かに語った。

女将さんは湿原の花や、動物にも詳しく、無言の好奇心を満足させた。私はよくわからないんですけれど・・・と言いながらも、専門的な知識も相当なもののようだった。無言がもちだしたトンボの話にも、お客さんから聞いたと言いながらも、適切なガイドをしてくれた。

「女将さんは、ここの生まれですか」無言は聞いた。

「いえ、私は関東の方なんです。若い頃に北海道にあこがれて、旅行をするうちに、こうなっちゃったんです」いいながら、恥ずかしそうにうつむいた。

「女将さんもおひとつどうぞ」

そういって杯を渡すと、こばむでもなく杯を干した。それから、聞かれるままに、旦那さんと知り合った時のことなどを、語り始めた。時おり、宙を見つめるようにしては、昔を懐かしんでいたようにみえた。

徳利は軽くなってしまったが、「よかったら私がおごりますよ」と言って、酒を取りに部屋を出て行った。

無言は思わぬ展開に、この先どうなるのだろうかと、心をときめかせながら、待っていた。かなり時間がたってから、女将さんは再び現れた。

「ごめんなさい。仕事を片付けてきたものですから」

言いながら、後れ毛を白い指でかきあげた。無言の目はほんのり桜色に染まったうなじに、無言の目はくぎ付けになっていた。

それから、聞かれるままに、無言も今回の旅を語り、青春を語り、女性を語った。女将さんははるかに若い無言の話を、うなづきながら聞き、ときおり言葉をはさんだ。品のある会話といっていいと思う。やはり学生仲間がすぐに意気投合して盛り上がるのとは違う、落ち着きがあった。そして、その中に味わいがあったように思う。とはいっても、無言はこのころになると、その次の展開がどうなるのだろうかと、心もそぞろだったのだが。

結局、特別なことは何もなかったのだが、何もない中に深い印象の旅の夜だったのである。

この日がおそらく最初だったと思う。その後、一人旅に土酒、土酌を無上の楽しみとするようになったのであるが・・・。

戻る