いよいよ大寒
いよいよ明日は1月20日、大寒である。読んで字の如く、一番寒い頃というわけである。
12月22日が冬至で、日中の時間が一番短いことは小学生でも知っているが、クリスマスも同じ意味があるというのは、あまり知られていない。
というのも、キリストの誕生というのは、この季節ではなかったという説があるらしい。羊飼いたちが野宿をするには寒すぎるからというのである。
本当かどうかは無言の知る所ではないが、恐らく古代のヨーロッパの冬至祭りといっしょになって、冬至の頃である24日の夜ということになったと考えられる。
ちなみにユダヤ教では日が暮れると一日が終わるという。だから24日の日が暮れた後に生まれたキリストは、25日生まれになったということらしい。しかし人々はまだ起きているから、イブのお祝いになるのだという。
冬至祭りというのは各地で行われている。日本では新嘗祭がそれにあたるのだが、いずれも太陽の光が一番弱くなったところで、その回復を願い、祈る目的だったと考えられている。「一陽来復」という言葉がそれをよく表しているではないか。
ちなみにクリスマスのイルミネーションも、各地で行われる火祭りも、一陽来復の意味がこめられていると考えられる。
さて、今回のテーマは、いよいよ大寒ということである。太陽が一番弱くなった冬至からおよそ1ヶ月過ぎて、気温が一番下がるわけである。
清澄房のような雪国では、この季節は雪が降るのが普通であるから、朝といっても暗いことが多いのだが、それでも晴れた日には、まばゆいばかりの朝に感動することがある。
確かに、確実に日の出は早くなり、夕暮れは驚くほどに遅くなっている。まさしく季節は反転をしているのである。
そして寒さと大雪を嘆いているうちに、まもなく立春を迎えるのである。季節は同じことの繰り返し。大底入りは反転を意味する。
景気も大底入りをして欲しいのだが・・・などと仙人らしからぬことを考えてしまうのも、寒中なればこそ。雪いじり以外に仕事がないからである。
しかし、寒仕込み、寒の水、という言葉があるように、旨いものを育む季節でもある。そうしてみると、やはりなくてはならぬ時期ということにもなる。
人間は贅沢なものである。寒さもよし、暑さもよし、もちろん春もよし、秋もよし。季節感と季節の味覚を追いかけていると、無駄な季節は1つもないことに気かつくのである。
「仙人暮らし」などというと、「世捨て人」ということになるらしい。確かに、世俗の欲は捨てているが、季節を楽しむ欲はますますつのるばかりである。
さて、今宵は清酒「越州」を傍らに、寒の日本海でとれたイカを味わうことにするか。たっぷりつまった甘味のある肝をあえた塩辛をつまみながら、刺身と塩焼きを味わう。寒ならではの無上の喜びである。