9月11日夜、テレビを見ていた私の目は、あまりの劇的な映像にくぎ付けになってしまった。そこには、ハリウッド映画も顔負けのリアルな映像が映し出されていたからだ。
あの資本主義経済の象徴のような世界貿易センタービルに、旅客機が飛び込み、やがては倒壊してしまうとは。
しかし、ここで私は事件内容やイスラムのことを書こうというのではない。私がテレビ放映を見ながら、奇異に思ったことを書こうとしているのである。
それは、実況しているレポーターの興奮とはうらはらに、画面に登場する一般人や、ビルから避難した人たちの落ち着いた姿である。
特にビルから避難した人たちの証言を聞くと、さらに驚かされる。彼らは、世界中の我々のような人たちが驚愕の気持ちで、テレビ報道を見ていたその時にも、平然と仕事をし、たまたま報道を見た人からの電話で、初めて避難を始めたというのである。
自分の入っているビルに旅客機が飛び込んでも、地震くらいにしか思わず、隣のビルが煙を吐いているのを見ても、落ち着きはらっていたのである。
結果的に証言をした人たちは助かったからよかったのであるが、助からなかった人たちも大勢いたわけだし、その人たちは彼ら以上に平然としていたに違いない。
もちろん、ビルがあのように倒壊するということは、誰も予想していなかったからであろうが、それにしても旅客機が飛び込んでも、蚊がとまったくらいにしか思っていなかったに違いない。
これはタイタニックと同じではないか。沈むはずのない船に乗って、パーティ三昧をしているうちに、氷山に衝突したタイタニックは、いとも簡単に沈んでしまったのである。
このビルの人たちも同様である。資本主義社会の頂点に君臨するエリートたちであり、ここが攻撃されることも、崩壊することも全く想像すらしなかったであろう。
聞けば、このビルでは最上階に近いところほど、格が高いらしい。いわゆる他者を見下ろされる位置なのだから。最上階はいわゆる雲の上である。
雲の上を目指して、やがては足元を見失ってしまうのである。
いわゆる米ソの冷戦終結後、アメリカの一極支配のもとに市場主義経済はグローバル化が急激に進んでいる。
しかしその頂点に君臨する高層ビルも、ペンタゴンも、アメリカそのものが、アメリカの旅客機をハイジャックしてのテロという、アメリカ文明を逆用するという手段によって、いとも簡単に崩壊されてしまったのである。
アリの一穴という言葉があるが、強大なものは強大であるがゆえに、自ら滅びるのかもしれない。そんなことを、いまさらながら実感させられた事件であった。
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