9月の味覚は何かと聞かれたら、私は迷わず茗荷と答えるだろう。
もちろん8月中からも食べられるし、9月後半にはきのこが続々と登場するのであるが、残暑にふさわしいものといったら、茗荷なのである。独特の香が食欲をそそり、夏バテ気味の体に活をいれてくれるのだ。
「ハッと振り返るような鮮烈な印象」という表現があるが、いかにも人ごみで美人を見かけたら、ハッとして振り返ってしまうと予想される。美人の陰影がまぶたに焼きついてしまうわけだが、茗荷の香りもそれと同じような感覚である。
茗荷を食べ過ぎると物忘れが激しくなるという言い伝えがあるが、今のところ私にはその兆候はないようだ。科学的には根拠があるのだろうか。私にはむしろ、鮮烈な香が忘れていたものまで思い出させてくれるような気がするのだが。
9月30日、早々と風呂に浸かりながら本を読み、湯上りに1杯やろうと、茗荷を刻んでいると、仙人仲間の桐生さんが現れた。きのこ採りをしたからということで、スギゴケとズイキ、アサツキを置いていってくれた。
桐生さんは仙人ではないのだが、1年中山を歩いて、山菜やキノコを持ってきてくれるのだ。おかしな話だと思われるかも知れないが、私はあまり採らない。どうも採っては悪いような気がして、ごく少量しか採らないのだ。ところが桐生さんは思い切り採って、みんなに振舞うのが好きなのである。だから私はいつもありがたく頂戴するのである。
さて、さっそくズイキはゆでて、酢漬けにし、スギゴケは炒め、アサツキは葉を塩昆布和えにし、たまは味噌をつけて食べることにした。
茗荷はきざんで水にさらしたものに、だし醤油をかけた。一番簡単で一番鮮烈だが、あまり多くは食べられない。舌が麻痺してしまうからだ。
ズイキはサトイモの茎である。どういうわけか、この辺ではイモを掘ると同時に茎も食べるのである。ゆであがったものに酢をかけると、みるみると真っ赤に染まっていく。それがなんとも目に鮮やかで嬉しい。
アサツキの葉は、さっと熱湯をかけて香を出し、塩昆布とあえてみた。緑の鮮やかさ、強烈な香り、昆布の旨みが一体となり、実に簡単でいけるつまみになった。
スギゴケはよく洗って、鷹の爪と炒めてだし醤油で味付けをした。キノコはやはりこれが一番簡単で、かつ旨いと思う。残りは味噌汁にも入れたのだが、炒めたものは味が凝縮され、味の素を凝縮したような味になるのだ。
スギゴケ(スギヒラタケ)は素人でも毒キノコと間違える心配がなく、人気が高いが、姿に品がないことと淡白なイメージがあるが、こうして食べると、キノコの小結くらいはいくのではないかと思ってしまう。
こうして、突然に豊かな夜が訪れたのである。もちろんこれらを迎え撃ったのは、言うまでもないのだが「越州」(壱乃越州)である。
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