プチハウス日和見邸

2002年8月、日和見教の土田尊師が、住宅を新築した。

今年はどういうわけか新築ブームのようで、春のユース氏についでのオープンである。ユース氏が持ち前のこだわりを存分に発揮していたことと対照的に、こちらは実にオープンマインドである。その分、底値買いのさとみオカーサンの好みが如実に表れている。

まずその場所であるが、従来から住んでいた貸家から目と鼻の先にあり、柿川をはさんで隣の町内である。

しかも、色黒の次女プチ嬢の散歩活動・布教活動の成果もあって、地域ではよく知られた存在でもある。いきおい旧町内からも足を洗えず、新町内にも「イイデスネェ」と新加入し、通りを歩けばあちこちから声がかかるというありさまである。

よって、物理的にも心理的にも目立つ、すぐわかる家である。

建物はどうみても合理的なキユーブ体であり、玄関前は全面コンクリート張りである。愛車のステップワゴンにぴったりあう姿であることは疑いの余地がないだろう。

これは鉄骨ラーメン構造でおなじみの積水ハイム製であり、総床面積38坪と無駄のないサイズである。この工法を選んだのは、雪下ろしをしたくないから、と断言するオカーサンである。さらにコンクリート張りは、草取りをしたくないから、とまたも断言するオカーサンである。

西側から見た姿である。奇妙な色の変化が特徴である。これは表の明るいレンガ風の外壁が新色のキャンペーン中であり、底値であったことが、オカーサンの心をとらえて離さなかった結果であるが、くすんだ色の部分は変更不能だったためだという。

ちなみに手前の畑には、ナス、サトイモ、枝豆が食べごろを迎えている。これも究極の底値買いの材料かもしれない。

こちらは玄関番の色黒次女プチ嬢である。愛想はいいが、靜かである。自転車用のスロープがお気に入りで、決して階段を歩かないという。

底値買いのオカーサンであるが、プチのためにはとひとふんばりして、暑さよけの穴を特注したという。しかし、プチはまだ入ったことがない。もっぱら手前のプチハウスを愛用している。

土の部分の真中辺にある赤い印が地堺である。ということは、その右側と柿川の間は国土交通省の所有する土手ということらしい。ということは、ユース氏と同様に勝手に利用できるおまけの土地ということである。どうしてこう要領がいいのだろうか。

ここにはいずれシンボルの白樺が植えられ、「ブチハウス日和見」の看板が立つに違いない。また、当然ながら芝生の中に日和見台が置かれることになるだろう。さらに川沿いは来夏にはヒマワリが一列に並んで咲くのではないか。

などと勝手な想像をしてしまったが、やはりそうなるのではないか。と、確信もしているのである。

玄関を入ると、いきなりのフロアーである。ロビーということか。しかもテレビが設置してあり、子供たちの溜まり場になっている。まさしく児童館か公民館という設計である。

そしてその奥に、2人の子供部屋がある。1階は子供の空間、2階は大人の空間というのが、基本設計なのである。

これは、1階がリビングで、2階が子供部屋という従来の発想からすると、逆転の発想である。しかし、子供は玄関にランドセルを投げたまま遊ぶ、というのが普通であるから、合理的であるし、リビングが明るく開放的なのも、無条件に嬉しい。

もちろん年寄りには評判が悪いと考えられるが、外との垣根を作らないという尊師ならではの設計であろう。

みんみん部屋でおすましのるり。

姉妹と間違われることで有名な2人

たかみ嬢手作りのチーズケーキでおもてなし

さて、底値以外にこだわりのない尊師邸であるが、細かいところでは、それらしいものが散見された。

そのひとつがこの枕である。そまものズバリ木である。尊師は我々が訪問すると連絡した時刻に、この枕で昼寝をしていた。

これはキッチンの片隅にあった酒、もちろん「朝日山」である。

まぎれもなくここの住人は、開放的な2階のリビングで、東の空が白み始める頃から手を立てて、「大いなる力」の登場を祈り、夜は「朝日山」をゆるゆるとやっているのであろう。

1升ビンがないと不安である、しかし裸でゴロリというのもはずかしいと考えたオカーサンのアイデアに違いない。

どうだろう。この2人の笑顔は。ご満悦というところだろうか。

 


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