今月のコラム
2001.4
かわらばん書きのつぶやき
ワセダ界はどうなっているのだ
奥島総長のグローカル・ユニバーシティ構想と、125周年募金活動がスタートし、ワセダは21世紀のスタートをなんとか無事に乗り切ったようです。
しかし、毎日の報道を注目すると、とても安穏としていられる状態とも思えないのが実情ではないでしょうか。
まずなんといっても話題の中心になるのは森総理です。
小渕総理が番記者たちにも気配りをみせて、たいへん好評な報道をされたことと対照的に、番記者すべてを敵に回したかのような、ボロクソの書かれようです。
特に失政はないと弁護するむきもありますが、失言の数々はいわずもがなです。
そして、いいわけの饒舌さが、さらに反感をかっているように感じます。
退陣表明があったようなことになっていますが、ならば有終の美を飾ってほしいと思うのは某だけでしょうか。
しかるに、この期に及んでの「ノルウェー国王主催晩餐会ドタキャン、派閥若手とすし屋で会食」事件まで起こして、番記者と全面対決です。
森総理に関する新聞記事を読むと、「母校早大の後輩と」というフレーズが頻繁に登場します。たしか、潜水艦事件のゴルフも、ワセダ関係者といっしょだったようです。
稲門会の神様のような人ですが、総理大臣という立場からすれは、ワセダばかりにどっぷり浸かっていては問題でしょう。
以前から、政界でスキャンダルがおこると、必ずといっていいほどワセダ関係者が絡んでいたものですが、最近ではかなり情けない状態です。
秘書の給料をネコババした若手代議士。官僚と不倫をして奥さんに噛み付いた女性政策秘書。
はたまた中小企業への公的機関からの貸付に口利き料をとって逮捕された都議もいましたっけ。それも、こともあろうに総長が後援会の代表世話人だ゜とか。いやはや。、これは総長の勇み足ということでしょうか。
いったいワセダの卒業生はどうなってしまったのでしょう。
大学の批判、教授の批判はもうおなじみですが、今度は卒業生までもです。
そういえば、奥島総長が大学改革を謳いあげる時、「実るほど頭をたれる稲穂かな」であるべきだが、最近の卒業生はそれを忘れているのではないか、というような問題も提起していました。もはやワセダは実りを忘れているのかも知れません。
以前、アサヒビールの樋口廣太郎氏が、ワセダ125周年を礼賛して、「ワセダは答えの返ってくる大学だ」と語っていました。同じ目線に立って、答えを返しながら物事を進めていくという点が、東大などの一方的に主張するだけのところと違い、ワセタらしいところだというのです。
なんといっても「人のワセダ」です。大勢が相談しながらすすめるのは、確かにすばらしいことです。
しかし、一歩間違った時に、ただ徒党を組むだけの、身内主義のワナに陥りやすいのではないでしょうか。
大学も教授の身内主義を改革すると発表していますが、卒業生も身内主義にとらわれることなく、「現世を忘れぬ久遠の理想」にむかって、「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」の精神ですすんでいきたいものです。