15. 新町内会結成して一周年

〜 新生町内会の一年を振りかえる 〜

あなたは人目のお客さんです

◆ 110世帯の新生わが町内会

   
   冬景色の街路風景
    
 生みの苦しみをあじわって誕生したわが町内会も、一丸となって発足した設立総会から一年、この一月末、無事定時総会の開催の運びとなった。
 市中心部の長岡駅から南に4`、旧17号線国道沿線の西側に位置する新興の町内が、突然、20数年間所属してきた元の町内会から離縁状を突きつけら、もめていたのが丁度一年前(H15年暮れ)になる。冷たい北風の到来と一緒に襲ってきたのが町内会分離の離縁話しだったのだ。
 生みの苦しみが大きかったお陰と苦労、そして何よりも元の町内会にいささかの負担も乞うことなく新生町内会を誕生させた誇りが、今にして振り返ると感概深いものがある。
 新生わが町内会は、一戸建て世帯48、事業所9、アパート53、合わせて110世帯が結束して昨年4月にスタートして一周年、ここに第二回定時総会の運びとなったものである。この機会に、結成に至るまでの苦労を振り返りとどめておくことも、後年のために意義あることではないだろうか。

◆ 何が原因の町内分離? 一部の意向では?

 そもそも突きつけられた離縁状の理由が不明確だった。会長の説明によれば、「会則の中に(当該の)町名が入っていないから……」、「前会長からの引継ぎ事項……」だからというのが主たる理由の説明だった。
 離縁状を突きつけられたわが町内は、事業所が立ち並ぶ旧17号線沿線から少し西に入った田園地に宅地開発された小さな町で、当時田んぼの地名しか存在しなかったのである。町名ができたのは、15年ほど前に住宅が10数軒建つようになって漸く命名されたもので、当時から町内会には異論なく加入が認められ、以来20数年間会費を収め一緒に活動してきた経過があった。
 であったものが、会則に無いとして「さあ別れてください」では、現状で何の支障も感じない分離される世帯としては、納得のしようが無いのは当然のなりゆき。もめ続けた結果は、いきなりの提案なので、「分離される世帯の検討の場を設けよ」との大勢の結論となって検討会の場がはじめて設けられることとなった。

    

◆ 新町内設立準備会スタート

 はじめて意見を述べる機会がもたれることになって対象世帯の80%が出席。ケンケンガクガク議論百出。いきなり分離提案の観に不満沸騰だったが、結局、「世帯数も多くなった。まとまって単独町内会設置でよい」、「設立準備会を設け討議しよう」、「繰越金財産分与の解決も求めよう」等が集約され、結論を町内会長に申し入れ、設立に向け結束して準備会がスタートした。昨年の1月末だった。
 日頃、町内会活動には関心が薄く、役員まかせが大方だったが、離縁宣告のここ一番、皆わがこととして町内は俄然関心が高まり、おかげでまとまりができたことは幸いであった。

◆ 設立準備会、順調に進展

 各班選出の8人のメンバーで準備が進むことになった。全くゼロからの出発で、手探りの連続だったが、インターネットで全国あちこちの町内会会則を取り寄せ参考にしながら会則も練り上げた。アパート世帯も含め会員名簿、班編成も出来上がった。準備会を1月末に立ち上げ、そこに至る3月まで検討を重ねること5回、紆余曲折を経て仕上げるところまで進んだ。
設立総会の事前には、ざっくばらんの全体集会も開催。検討経過と会則案、班編成など一切を提案、自由な雰囲気と活発な発言があって大筋承認がいただけた。後は役員構成と旧町内との財産分与の課題だけとなった。

◆ 財産分与は決裂!ワンマン会長、約束をホゴ

 設立準備会が検討を進めている最中の2月、町内分離を主体の定時総会が召集された。ここでも財産分割に関連して意見がかみ合わず、議論が百出した。結局、「財産を分けるような大きな問題だ。準備委員も含めた検討メンバーで事前に検討し、臨時総会を開催して結論を出そう」との意見で、後日案を練って臨時総会で結論を得ることで終わった。
 もめる原因には、ここの町内会の繰越財産が予想以上に毎年潤沢に残っている背景があった。この一部を使って、「町内独自に防災避難道路設置や公道に信号機設置のためおよそ150万余を充当したい(会長)」。このため、これを除いた残余金を応分に分与したいとの思惑があったと思もわれる。
 そもそも、避難道路設置や信号機設置に一町内会が費用を負担などあるのだろうか。百歩譲って、あったとしても町内全体の衆議がなされてのことではないのだろうか。
 結局2月の総会上での結論であった、即ち事前の検討会の席も、切り離される側の我々町内世帯への次の臨時総会への参加呼びかけもないまま3月末、臨時総会が独断で開催され、切って放逐するがごとき仕打ちで分割がなされてしまった。その後は一片の各戸周知チラシの投げ込みだけで結論づけられてしまったのであった。無論、一円たりの財産分与も、一円たりの祝儀も見ない三下り半であった。

◆ 新町内会、無事一年明ける

 そんな仕打ちの中で我が町内会は、昨年3月末創立総会を開催、装い新しく産声をあげたのだった。そして真っ白な一ページに新しい町内会が4月スタートした。一切が「無」のなか、予算の工面もなかったが、どうにか一年が終了した。アパート会員も会員化が大きく進んだ。会員会費もきちんと確実に回収されている。初めての夏の「町内懇親会」も会費制の自前で、ゴミ回収説明会を兼ねたこともあり8割方の参加もあって、コミュニケーションが大いに図られた。
 事業では水銀灯の増設、街灯蛍光管の一斉取替えの実施など新しい試みも実行できた。暮れには新班長6人も決まり引継ぎも行われた。無事船出の一年が終わって、反省と二年目の船出が訪れた。新しい年度も、会員の理解と協力で進んでほしいものだ。
   
   
   

◆ 融和と明朗、少しずつの協力しあいを

 この一年、事業としては大したことはできないで終わった。これからもそう大きな期待はきっと無理ではあろう。でも順繰りでもいい、班長や三役など気軽に引き受けてもらってお互いに負担を分け合い、できるかぎり運営を明朗に進め、時にはコミュニケを交わしながら支えあう町内会でありたい。ごみ回収や防犯灯、積雪時の路上駐車など皆な生活に密着した問題もかかえている。
 たかが?町内会。されど町内会。どこかのようなワンマン、独裁運営はもってのほか。お互いに少しだけ町内に関心を持つことで解け合う町内会ができることであろう。(H17.1)


 田園と町中を流れる福島江

   

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