18. ひめさゆりの里・粟ケ岳新道−”ぶなみち”を歩く

       〜 若ぶなの美林・快適な開拓新道の歩き 〜

あなたは人目のお客さんです

◆ ひめさゆりの里に開拓新道”ぶなのみち”

 今年(平成17年)の正月、三条新聞に可憐な花ひめさゆりの里で知られる下田村(現三条市)に、粟ケ岳へつながる新道完成のニュースが特集で紹介されていた。  下田村森町の長禅寺を基点に高城城址(370m)から袴腰山(520m)を経由して粟薬師(628m)を経て粟ケ岳山頂(1,292m)に到る全長7.5`のコースである。コースは本場ひめさゆり鑑賞コースにもあたり、しかも「ぶなのみち」と命名されたごとくぶなの自然林の中を行くという、魅力的なイメージを彷彿させてくれる願ってもない新開拓コースの紹介であった。
 これを見たわが山仲間が、機会をみて挑戦したいものとかねてから山行き計画に組み入れていたものである。新緑も深まった5月15日、長岡から5人のメンバーに途中加わった加茂からの2名をいれ、7人のメンバーでの決行となった。天候はあいにくの曇天模様だったが、雨も落ちることなくまずまずの天気の出発となった。

          手入れのされたひめさゆり遊歩道

やがて咲き競う”ひめさゆり”     手入れのされたひめさゆり遊歩道
 

◆ 高城城址までは”ひめさゆり鑑賞遊歩道”

 長禅寺参道前右手から車で急坂を上るとすぐに登山道駐車場が設けられていた。2、30台は入るだろう。周りにひめさゆりの幟り旗が数本ハタメいていて、ひめさゆり鑑賞客の訪れを待っているようだった。
 駐車場から少し行った右手に、高城山登山道を示す朽ちた標柱が立っていた。歴史を感じさせる一件だった。しばらく行くと、道沿えの両側にやがて咲かんとするひめさゆりが林立して迎えていた。町の手で手入れが十分なされていることが伺えた。大きなつぼみを沢山つけ、いかにも重そうにうつむいて耐えているようだった。そんな光景が次からつぎへと続いている。あと一週間もすれば一斉に咲くことだろう。その時の見事さはおそらく例えようもないことだろう。
 なだらかなひめさゆりの鑑賞遊歩道の登りをおよそ50分ほどで高城城址に到着した。
 およそ六百年前、足利将軍時代城が築かれ、やがて戦国時代につながってつわものどもが集っていたのであろう。祠が一つおかれ、そのよすががしのばれた。

          つわもの跡をしのばす祠

高城城址の沿革            600年の昔、つわもの跡をしのばす祠
 

◆ 袴腰山頂を経て新道”ぶなのみち”を行く

 高城城址を後に大小のアップダウンを繰り返し、およそ40分で袴腰山頂に到着した。袴腰山は標高520M、遠くの尾根から見た姿は丁度昔の袴にそっくりだ。由来はそこからきたのだろう。山頂は、三角点を真ん中に小さな広場があった。
          尾根から見た袴腰山頂

袴腰山頂            尾根から見た袴腰山頂
 

 袴腰山頂を後にして、次への踏み出しの一歩は極度の急坂の下りであった。この下りは、八木鼻登山口から袴腰山頂に至るコースの途中の「見返りの丘」地点、即ちこれから辿る開拓新道の出発点に向かう下りであった。長くはない距離だが張ったロープを頼りとする神経を使うほどの急坂であった。
 急坂を下り終えたところに堂々とした「見返りの丘」の案内板が掲げられていた。昨年開拓されたという”ぶなみちコース”の出発点だ。

ぶなのみちコース全体図

 この道は、五百川登山道から粟ケ岳山頂へのコースの中で五合目にある粟薬師へとつながる新しいコースである。
 主に尾根筋が切り拓かれていて、道幅も2M近くあって歩きやすい。雑木の根と深い落ち葉で固まった道は、堅めのスポンジかマットの上を行くようで実に気持ちがいい。ところどころに立派な案内標柱があって次の標点までの距離間隔が記されていて親切だ。尾根上からは粟ケ岳の山頂や守門岳が望まれ、この時期、守門の白雪がみごとだった。足元にはイワカガミ・ショウジョウバカマ・イワウチワなどが点々と続いていた。とりわけやわらかくホワイトピンクに咲いているイワウチワが印象的だった。眼下にはいつも下田の集落が見渡せ集落から遠くないことが伺えた。

◆ 快適な歩き心地と自然一杯の新道”ぶなのみち”

 いくつかのアップダウンを繰り返すが、ほとんどが尾根をたどっている。新しい道だけに切り株も多いが全く支障はない。足元がもくもくとした踏み心地でクッションが効いているし、滑る心配もなく快適だ。
 ”ぶなみち”と名づけられているだけにブナ林の連続だ。新緑と灰白色の幹のコントラスト、それに適当な隙間をあけて林立するブナ林の風情は気持ちが落ち着く。途中、猿のけたたましい鳴き声にびっくりした。道から少し下に猿の一群がいたのだ。突然の人間の侵入に警戒を発したものらしい。じっと我々の通過を見送っているようだった。まだまだ野生のままの自然が残っているのだ。猿のテリトリに勝手に踏み込んでいることに少し気がひけた。 ぶなの樹林 要所々々に設置の親切な標識

 ぶなの樹林の中を行く/ 要所々々に設置の親切な標識

シャッターに捕らえた猿(中央)
粟ケ岳山頂眼前の山伏見晴らし場

 シャッターに捕らえた猿(上)-佐藤さん写す/ 粟ケ岳山頂眼前の山伏見晴らし場は目前

◆ ぶなの樹林を経て、なつかしの粟薬師へ

 新道は、見返りの丘を出発して〜鹿熊越え〜上沢見晴場〜五百川登山道合流点〜ぶなの杜〜水場〜山伏見晴し場〜小俣登山道合流点〜の各点を通って粟薬師へとつながっていた。  新道の行程は約3時間だった。両側が切り立ったやせ尾根あり、野趣味たっぷりの自然と山野草花あり、そして守門・粟ケ岳を眼前に望む展望……と申し分ないコースであった。
 粟薬師の合流点で雲行きが怪しくなって、さらにここから粟ケ岳山頂まで往復4時間は、時間的に厳しく粟薬師で休憩、帰路につくこととした。コースをぶなの樹林を少し下ったら見覚えのある平らな広場と薬師を祭った粟薬師に出た。まだ若かりし40年ほど前、よくこのコースを登ったのだ。はじめて山登りを経験したのがこの山でもあった。祠は変わりなかったが、三角屋根の避難小屋は当時確か無かった。しばし昔を思い出させてくれなつかしかった。
 一つビックリの発見があった。このコースの中間点に目印の大きな”粟石”があるはずで、下から登ってきたとき、ここで一息入れて汗を拭くのがきまりだった。下山途中そのあたりとおぼしき所を見るが無い。よくよく見ると、標柱があって”粟石”が昭和39年6月の新潟地震で沢に崩落したとの説明に納得した。40年たっての再会はかなわなかった。あの大きな粟石がどんな勢いでころがり落ちていったことだろう。どんな姿で沢に眠っていることだろう。そんな思いを懐かしみながら、ひめさゆり〜高城城址〜袴腰山〜ぶなみち新道〜粟薬師コースを後にした。

昔と変わらず佇む粟薬師の祠 40年前、粟石のあったところ

 昔と変わらず佇む粟薬師の祠/ 40年前、粟石のあったところ

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