47.わがホームページ、古希を機に復活!

   〜やっぱりぼけ予防に再チャレンジして行こう〜


我が家の裏の今宮公園の桜は見ごたえがある−'11.4.26 

◆ ホームページ、丸二年間の中断

 わがホームページは、平成21年9月記(第46話)を最後にストップしてしまっていた。 実は、二年前パソコンを買い替えて慣れない機器の習熟に懸命に取り組んでいる最中、ホームページの更新を試みたところ、サーバーへの接続ができないでしまった。あれこれと無い知識で操作するも、あげくの果てがサーバーから一切が消えてしまう結果となったのでした。

 あっちこっちの知人から、「おい ホームページどうしたんだ?」とせっつかれてきたが、取り扱い操作の無知と、段々時間が経過するうちに煩わしさが先に立って、まあどうでもいいやと投げやってしまい、ついつい二年間が経過したのでした。結局は寄る年波に勝てなかったのである。

◆ ”十宝山の会”結成、スタート

 二年前、県主催の高齢者大学なる勉強会に参加する機会があった。長岡会場のメンバー男女57人は、60歳頃から70歳をも超える方々で、皆学習意欲満々の元気な集まりであった。それぞれ経験豊かなメンバーが揃っていて、とてもいい刺激をいただくことができた。

 二年間の講座修了期の昨年10月、趣味や各種活動でつながるサークルを結成し、今後も輪をつなげてゆこうということになり、私は山行きグループに入れてもらった。そして、20人ほどからなる登山・ハイキング・里山散策のサークルがまとまったのでした。
 中にとても熱心な方がいて、10月に早速打合せ、世話役を決め即,第1回の登山を弥彦・多宝山と決め、11月2日実行、さらに12月1日には、北条・八石山行きを実行、いずれも10人前後の参加で上々のスタートができました。
 打ち上げの会場で、この会の名称を昔、多宝山が「十宝山(とだからやま)」と素敵な名で呼ばれていたことを知り、初めて登ったこの山にちなんで「十宝山の会」とすることで一致、会長を100Kマラソンにも挑戦する、世話役こまめなSさんになってもらうことで、一同気持ちよく発足したのでした。
 ”宝物が十も、いやそれ以上もあり、会員が楽しいと感じられ、少しは世の中の役に立てる、互いが気持ち良い生涯となりたい”をモットーに掲げる幸先良いスタートとなりました。

◆ ”ヤマレコ 十宝山の会”に触発される 

 第1回の弥彦・多宝山登山が終わって日をおかずして、会長のSさんから耳よりの情報が入ってきました。それは、いろんな山記録をインターネットに自由に展開させてくれるブログ「ヤマレコ」上に、「十宝山の会」をグループ登録して立ち上げたとの知らせでした。早速”ヤマレコ 十宝山の会”で検索してたどってみると会長Sさん発起で、弥彦・多宝山登山記録が立派にアップしていました。おまけに、会員登録の呼びかけもあり、会員同志の日記交換も可能ではありませんか!
 間をおかずして、八石山行きの記録も登場、さらに会員登録者も続き、さらに個人日記の掲載もと、Sさんの意欲的行動に、皆さん大いに刺激を受けていることが分かりました。ホームページ消滅で意気阻喪、老化へまっしぐらの自分にとっても大いに奮発、刺激となりました。


十宝山の会初登山―多宝山山頂で−'11.11.2 

◆ ホームページ再挑戦へ決意、ひとまず復活

 年が明けて2012年がスタートした。明けた1月、私は齢70の古希に達したことを機に、これからは「体力、脳力」の消耗と持久のせめぎあいの始まりと覚悟した。
 正月、そこで同じ年代が始めた”ヤマレコ 十宝山の会”に大いに触発され、「よーしもう一回HPに再挑戦しよう」と決意、早速行動を開始した。
 幸い、サーバーの長岡ケーブルTVサポートセンターの1時間余の根気強いアドバイスを得て、1月5日ようやく旧内容のまま、2年ぶりに復活することができました。ありがとうございました。
 「体力、脳力」の消耗と持久戦の年代であることを自覚しながらも、退化を一歩でも遠くに置くよう心がけようとここに決意した次第である。追々、極力、ページの更新に奮励努力したいものである。(H24.1.8記)



北条・八石山登山案内図 / 八石山中腹から米山の眺め  -'11.12.1 

みょうがの花

北条・八石山頂小屋で / 珍しいみょうがの花?  -'11.12.1 



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