46.念願の剱岳登頂を果たす
〜16年来、剱岳の思い、齢67にして達成!〜
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剱岳頂上から見る眺望−'09.7.31
◆ 齢67にして、剱岳にチャレンジ
新田次郎著「点の記 剱岳」が映画化され、この六月久し振りの映画鑑賞で感動を覚えたことだった。
たまたま今夏の山計画のメーンイベントが、「剱岳」だったため、一層真剣に見ることとなった。 剱岳は16年前、8人の仲間とともに欅平〜阿曽原〜仙人池〜剣沢コースで挑戦したことがあった。しかし、第一日目の後半、土砂降りの雨に遭って阿曽原温泉泊りに変更、翌朝も雨がやまず、結局そこで撤退した苦い経験があった。以来、いつの日か捲土重来を夢みてきたのだった。ところが剱岳計画を前に6月、持病の狭心症に不安が起こり、険しい「点の記 剱岳」を見るに及び断念か、と迫られる事態が発生。しかし、精密検査の結果、断念に及ばずとの判断をいただき、参加を決断した。年齢、体力ともやや不安を感じつつ、67歳の思い切った剱岳への挑戦だった。
◆ 男性4人、女性3人の中高年パーテー
7月末となっても梅雨明けがはっきりしない。
決行の7月30、31日を前にしても予報が悪く、「点の記」が頭によぎり、リーダーに中止も視野に仲間と相談してみては……と呼びかけた。帰ってきた返事は、「女性陣3人は行く気満々、出発の覚悟はできている。男性諸氏も早月小屋まででも行けるとこまで行こう」との答え。女性を含め平均50,6〜7歳は超えている、いやモット?思われるが??…その強さに感服した。超ロートルの小生もやむなく早月小屋までのトレーニングと思い決行に賛同することとした。 朝5時過ぎ長岡インターを出発。途中待ち合せの刈羽パーキングの1台と合流、一路富山県上市町・馬場島(ばんばじま)へと向かった。
◆ 登路は日本三大バカ尾根(?)の一つ、早月尾根コース
今回リーダーが選んだコースは、冬季の剱岳登路コースとも言われている、馬場島から早月尾根を経て剱岳に至るコースだった。
昔、超先輩から日本の三大バカ尾根の一つが早月尾根だと聞かされていて、どんなに長大だろうかと、いささかたじろぐものがあった。 約3時間ほどで馬場島の登山センターに到着した。途中、富山県に入ってからもドシャ降りの雨もあって、やっぱりダメかと覚悟もしていたが、高速を降りるころから薄日も漏れる天候に変わり、馬場島の登山センターに着いたらすっかり雨は心配ないほどとなっていた。広いセンター駐車場には、夏山の最盛期にもかかわらず平日のせいか駐車は何台もなかった。準備を整いて周りを見ると、登り口方向正面に小山のような巨大な一つの岩が存在するのに気がついた。何か無事を祈りたい気分になってパチリと一枚収めて出発とした。午前8:45分だった。
馬場島の登山センターに鎮座する巨大岩−'09.7.30
剱岳登山口で安全を見守る石碑-'09.7.30
◆ さすが長大の早月尾根
登り口の眼前に、”剱岳は岩と雪の殿堂である。人身とも鍛錬された人々よ来たれ。……”
から始まる「剱岳の諭(さとし)」なる厳しい戒めを呼びかける碑を拝み、いささか緊張気味にスタートした。 早月川の沢音を右に聞きながらの林の中の登りは結構急登だった。約40分で松尾平に到着。標高1,100Mとなっていた。ここで一息ついてからが本格的な登りだった。行けども行けども急登の連続。ゆるやかな平ら地は一切望めず、少しも楽をさせてくれない。さすがは聞いていたとおりのつらいコースだった。樹林帯の連続で、いまひとつ眺望に恵まれなかったが、異様とも見える巨大・異様な姿の立山杉が次から次へと現れる変化と、進む先々に標高200M増すごとに示す標高標識が現れ、わずかばかりも疲れを忘れさせてくれたのが救いだった。 途中昼食休憩をとったものの、5時間40分を要してようやく早月小屋に到着した。長い行程だった。今日の行程はここまで。寝るまで時間はたっぷり。後は、疲れを吹き飛ばす宴会。早月小屋の広場のテーブルを囲んでの宴会となった。持ち寄った多彩なつまみ、お酒にビール、不足分は500mL缶が800円で手に入る。周りの天気も回復し、雄大な奥大日岳や険峻な小窓の頭が圧倒的な迫力で迫っている。明日の天気は心配なし。ここまで来れてまずは満足々々。
巨大で奇態な姿の立山杉 / 疲れを癒してくれる標高表示板 -'09.7.30
早月小屋から顔を覗かせる小窓の頭 / 早月小屋広場での宴会 -'09.7.30
◆ 岩稜累々、急登また急登の連続
翌朝3:45起床。登頂準備にかかる。
昨夜まで元気だったY君とE君の二人、疲れと体調がイマイチだと登頂を断念し寝床から離れない。二人を置いて残る男2人と女性陣3人、4時15分、キャップランプを点けて早月小屋を出発した。 第二日目も結構きつい行程だ。予定では、早月小屋を発って剱岳山頂まで3時間。帰路、山頂から早月小屋まで2時間30分。さらに馬場島登山センターまで3時間。合計8時間30分の行程が待っている。 小屋のすぐ後ろからのきつい登りだった。一つ目のピークを越えたところが2,400M。夜も明け、ぐるり周囲の展望が開けてきたが、剱岳の山頂は望むべくも無かった。まだまだ剱のとば口に過ぎなかった。その先は岩の峰また峰の連続だった。暑さもほどほど、雲の間に顔を覗かせる周辺の岩稜を堪能させてくれた。 2,400Mからは先は、岩また岩、クサリ場のヒヤヒヤするところも多い。その上急登また急登の連続。やっぱり「点の記」に見るとおりの険しい山であることを教えられた。
累々と続く岩稜 / クサリ場を行く -'09.7.31
◆ 剱岳山頂に立つ
無事剱岳山頂に到達−'09.7.31
早月小屋を発っておよそ3時間。午前7時27分、全員が無事剱岳山頂を踏むことができた。
念願の剱岳登頂がかなった瞬間だった。うず高く岩をばら撒いたような山頂の一群に立派な祠が祭られていて、2,999Mの表示板が添えられていた。まずまずの天気に見晴らしも上々。すぐ眼前やや下手には剱御前であろうか、垂直に切れ落ちている岩山。頂に登山者の動きも。室堂からのルートなのだろうか。いずれにしても険しいルートだ。 かつて北アルプス白馬岳の一角から、あるいは穂高岳山頂から、あっちこっちの山頂から幾度となく剱岳を遠く眺めては、そのどっしりと雄大な山頂に一度は立ってみたいものと望んできた。一度ならず断念したこの剱岳に、齢70を前にしっかり立つことができまさに本懐を遂げた思いだった。 ここまで引き連れてきてくれた仲間に感謝々々である。ありがとう。
【剱岳で出あった花々】
左からアズマシャクナゲ / キヌガサソウ / シナノキンバイ−'09.7.31
ミヤマカラマツ / トウヤクリンドウ−'09.7.31
アオノツガザクラ / イワベンケイ−'09.7.31
ウスユキソウ / クルマユリ−'09.7.31
(H21年9.1記)
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