ハンバーガーの再値下げと日本経済の行方

 

マクドナルド・ハンバーガーが値上げをして、インフレ記念日になると宣言してから5ヶ月がたちました。結局この間、インフレの気配は感じられないまま、さしものマクドナルドも売上の落ち込みに苦慮し、再値下げに踏み切りました。

最初の価格は130円でしたが、65円の半額キャンペーンで1人勝ちし、インフレ記念日を宣言して80円に値上げしました。そして今度は、59円への値下げです。

原因の大きなものに、狂牛病や食品の安全性疑惑という、予想外のものがありましたが、それでもやはり、デフレ傾向の結果と言わざるをえないと思います。

結局、藤田社長は予測を誤ったということになりました。もっとも、エコノミストという経済の予測を商売にしているような人でも、その予測が当たらないことはよく知られています。「フクはエコノミストと食え」などということわざのようなものもあるようですし。

今年の年頭に年末の為替レートの予測をしましたが、これにしても、半年過ぎたところで大きくはずれています。年頭には円安を予想するのが当然でした。大方の予想は130円から140円というところでした。しかしこれはあくまで、円とドルの交換比率です。円が弱いことは誰もが予想していましたが、ドルも極めて不安定でした。暴落の危険性があるということは、誰もが認識していましたが、そうなっては困ると言う気持ちがありますから、見ないことにしての130円から140円という理解でしよう。

ところがその後、アメリカ経済の予想以上の回復と、日本政府の株価維持政策、すなわち空売り規制によって、日本経済は輸出回復による底入れということになりました。これで円安はあまりすすまないということになりました。

そこにきてのワールドコムの不正経理発覚です。そもそもアメリカ経済のバブルは、IT革命とともに、アメリカの会計制度の透明性が高いということで、世界中のマネーの投資を呼び込んだことによって成り立っていましたが、エンロンに続くインチキの発覚で、アメリカからマネーが逃避し始めました。これが円買いにつながりました。そして、今日現在116円という円高ドル安になったのです。

この際、世界中のマネーを日本に呼び込めば、再びのバブルということもありうるのですが、現状は難しいでしょう。

さてそうなると、デフレの継続にさらに輸出産業の腰折れという最悪の事態となります。マクドナルドの値下げはこの筋書きでしょう。この筋書きは、かつて予想した最悪のシナリオになります。ただひとつだけ救いがあるのは、円高ではなく、ドル安だということです。ドル以外とのレートはあまり変わっていません。日本経済のアメリカ経済離れがうまくいけば、最悪は避けられるでしょう。

しかし、そんなナローパスの希望はともかく、大筋は悲観です。調整インフレ政策に対する批判は、デフレマインドを払しょくすることは出来ないということでした。流れを逆流させることは、簡単にはできないということです。とすると、国内的にはリストラ、賃下げ、失業の流れは変わりにくいものと思われます。なんといっても、日本には少子高齢化という現実があるのです。

さらに言えば、構造改革はゆっくりとしか進まないということがはっきりしてきたからです。小泉さんが悪いとかいうことでなく、やはり日本には革命的な自己変革は困難だという気がしてきました。私個人的にも、構造改革を主張してきましたが、鬼畜米英世代の親父1人を説得することもできません。昭和一桁以前はあきらかに抵抗勢力と化しています。構造改革を世代間競争と考えると、強くて多い抵抗勢力と弱くて少ない改革勢力という構図が浮かびあがってきます。なかなかすんなりとはいかず、時間が解決するようなことになるでしょう。となると、日本は過去の十年のように、ジワジワと停滞、後退してしまうのではないでしょうか。

このままだと、日本はゆるゆると後退し、4等国になってしまうかもしれません。歴史的にみても、繁栄した国が衰退してゆく流れは、少子高齢化もあり、土木国家からの財政破綻あり、豊かさからきたハングリー精神の欠落、他国による侵略など、いろいろですが、位置エネルギーの仕業と考えることができるでしょう。

さらに、環境破壊によって衰退した国も多いようです。これは環境破壊による気候の変化、農業の衰退、平たく言えば砂漠化による衰退ということです。例えば、南太平洋のイースター島では、1550年頃には人口7000人程が住み、モアイ像などの独特の文明生活をしていましたが、1774年にキャプテンクックが訪れた時には、700人程が洞窟などで原始生活をし、モアイ像は全滅していたといいます。その間人々が何を考え、何をしていたかを考えると、感慨深いものがあるわけですが、世界史にはこんな話はザラです。

だとすると、だめだだめだと言いながら、だんだんだめになり、そのうちそれに慣れていくということになるかも知れないということになります。しかしこれは、悲観論に過ぎます。日本にはナノテクノロジーを始めとした技術があるのですから、国力自体はある程度維持できるのでしょう。しかし国内的には階級化が進むのは避けられないと思います。

ただこの筋書きには、これから起こるショック、予想外の出来事は読み込まれていません。間近くは、来年はブッシュ大統領の再選に向けて、イラク攻撃が始まるようです。これがイスラムを含めた大きな変化をもたらす可能性もありますし、北朝鮮はこの夏の食糧危機を乗り切れないという説もあり、極東情勢もわかりません。さらに中国の今後も不明です。もちろん長期的には発展すると思いますが、すんなりいくかどうかわかりませんし、中国の発展と日本の再生が同列になることもありうるでしょう。

国際的には、変数が多すぎてわからないというのが本当だと思います。どうせわからないなら、考えることはないではないかということになりますが、案外これが本当のところかも知れません。「絶学無憂」という言葉も、かの清澄房無言も好んでいますし、結果がいいか悪いかは運次第かも知れません。現に長老に聞くと、運が一番大事だといいます。かのチャップリンも「人生は運、根、鈍」だと言っています。

しかし、だからといってラテンの人々のように、享楽的に生きるだけで満足できるのかどうか。

「ただ見れば、何の苦も無く水鳥の、足に暇無き我が思いかな」

水戸黄門の言葉だそうですが、こちらの方が肌に合ってしまうのですよ。  


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