久しぶりに銀山平・北ノ叉川に昼寝に出かけた。
ここは巨大イワナで有名な銀山湖
(奥只見湖) に、越後駒ケ岳から流れ込む清流で、開高健氏らの運動により、1981年からイワナ等の保護のために全面禁猟区となっている。
この川にかかる石抱橋の下が、無言の飛び切りのお気に入りであり、若い頃から年に1,2度は訪れているのである。
夏ならば海の日の頃、秋ならば紅葉の頃である。
今回はむろん夏であるから、川面にベッドを置いて、涼しい風に吹かれ瀬音を聞きながらの昼寝であった。瀬音に包まれながらの昼寝というのは、実に気持ちのよいもので、暑さで弱っている体が睡眠を必要としていることがよくわかるものである。
無言がどこへ出かけても昼寝をしたがるというのは、眠りに入る時と眠りから覚める時というのは、実に自然に五感に染み入ると感じるからである。
瀬音の中で目覚める時、小鳥の声で目覚める時、ヒグラシの合唱で目覚める時など、何年たってもその快感が体に染み付いている。
さて、今回は8月10日であった。これははっきりいって失敗であった。というのも、アブが発生してしまい、日が翳るとすぐに襲われるのである。アブは清流の宿命であるし、8月に入るとアブは最盛期を迎えるのである。
しかし、無言はめげないのだ。
ニジマスやヤマメが泳ぐ姿が見られる淵に近い瀬を選んでベッドを置いた。そして、桃をネットに入れてぶら下げた。
ベッドに横たわると、すぐに瀬音が他の音をかき消して、頭の中が不思議な静寂感が訪れる。「静かさや 岩に染み入る蝉の声」と詠んだ芭蕉の気持ちはこれに似ていたのだろうな、と確信するに十分である。
この地で、今一番の話題は、新しい温泉付きログハウス村ができたことである。なにやら明るい話のように聞こえるが、たいへん根の深い、重い話を引きずっている。
事の発端は1992年まで遡る。
電源開発 (電発 )
が北ノ叉川上流にダムを建設し、大湯温泉側に建設する下ダムとの間で、駒ヶ岳の下をぶち抜いた水路を通じて、揚水発電を行う計画を発表した。銀山平地区や釣りファンを中心とした反対運動の結果、上ダムは黒叉川へと変更になった。
ところが今度は奥只見ダムの増設計画が発表され、今より60メートル下に取水口を作ることになった。水位の乱高下は魚に悪影響を与えるということで、再び生活権を掲げて反対運動を始める。
発電所建設を推進して莫大な固定資産税収入をあてこむ湯之谷村が仲介し、釣りに依存するのではなく新しい観光で生きるべく、この地区に温泉センターとログハウス村を建設し、釣り宿は営業保証2000万円をもらって、移転することに同意し、この春オープンした、というものである。
ところが、昨年の小泉政権の誕生で、公共事業全面見直し、特殊法人改革の中で、電発
(特殊法人) はダム建設を断念することになり、借金財政を進めてきた村は一転して破産寸前に追い込まれたのである。税収豊かな村として町村合併の主役になる予定だったのが、一転してお荷物として遠ざけられ始めたという。
ちなみに、下ダムになる大湯地区では、駒の湯山荘の主人、桜井恭一氏が反対運動の中心に存在したが、揚水ダム断念の報を聞いて、翌月53歳の若さで急死した。しかし、ダム建設は県の事業としてはまだ中止には至っていないという。
現在増設工事は続けられているが、これは福島県桧枝岐村の税収となり、湯之谷村には入らない。このため、ログハウス村、正確には村営「蛇子沢観光開発」の先行きも不明である。
小泉総理の掲げる、痛みをともなう改革がここにも見られるのである。むろん水位の変化による影響はまだわからない。はたして北ノ叉川はこのままでいられるのだろうか。これが今生の見納めということにならねばよいが、無言の脳裏にはいろいろな想いがめぐっては消えていった。
果汁を豪快に滴らせながら、かぶりつく桃は、至上の旨さであった。
同好の少年