マイナスイオンの謎

「梅雨時のうたた寝」のページに、マイナスイオンのことを書いたが、やはり「まやかし」くさいというご指摘をいただき、東京大学生産技術研究所の安井教授のホームページをご紹介いただいた。

さっそく開いてみると、いろいろなテーマが科学者の立場から語られている。マイナスイオンについては、テレビ番組の「発見あるある大辞典」で取り上げられ、ドロドロの血液をサラサラにする効果があるなどと、健康効果があると紹介したことを取り上げ、詐欺まがいとこき下ろしている。

教授によると、そもそもマイナスイオンという言葉自体、科学の言葉ではなく、商業主義が作り出したものだという。

電気が伝わらないはずの空中を、なぜ雷は放電するのかといったことから、「大気イオン」の存在を想定して研究されてきたものだという。、負の大気イオンは、細かい水滴に硝酸イオンなどがくっついてできたものであるらしい。

そして確かに滝は気持ちいいし、加湿型の空気清浄機は気持ちがいいのだが、たまり水を使うことから、レジオネラ菌の発生が予想され、有害になりうると指摘している。

また電圧によってオゾンを発生させるタイプの製品については、発生量が少なく効果が疑問である上、オゾンの有害性も指摘している。

一方各種の製品のメーカーでも、大手メーカーでは直接体にいいという表示はしていない。あくまで消費者がマイナスイオンを望んでいるのは明らかであり、有害とするデータもないので、販売しているのだと言う。

こうしてみると、科学技術の発達したイメージのある日本でも、まだまだ不明なことばかりであり、物が売れない時代に売れるための手段として、各種のいかがわしい製品が作られているという現実に驚かされるのである。

しかしそれを否定してしまうと、多くの製品で中国との価格競争になすすべなく、付加価値の高い製品のもつ宿命といってもいいかもしれない。やはり、いかがわしさを論ずるよりも、気持ちよく騙されることと騙すことは、善と考えなければなるまい。

無言は「仙人、大阪へ行く」 《車窓から》で、司馬遼太郎に気持ちよく騙される話を書いたが、小説家やアーティストと呼ばれる人たちは、例外なく「気持ちよく騙してくれる」人たちに違いない。知的所有権の類もみなこの仲間だろう。

まあ、あまり生真面目に考えないことである。ただし、騙される心構えは修行しなければなるまい。

ところで、結局マイナスイオンの本質は、滝の気持ちよさなのだとすれば、滝のこともう少し考えてみたい。

マイナスイオンが大量に発生していることはわかったが、他にも気持ちいいことはあるのではないか。

例えば、視覚的なさわやかさはなんとなく理解できる。

聴覚的には母体内の羊水の音に似ているから心が癒されるとの指摘がある。真偽の程はともかく、川の音は心地よい。

匂いはどうか。鮎の泳ぐ川はスイカの香りがするというが、滝はほとんど山の中である。いわゆる森林浴の効果があるのかもしれない。

こうしてみると、ひとつの効果を追求するのも無理があるようにも思えてくる。ところで、こういった心地よさは人間共通のものなのだろうか。母体内の音は共通だろうが、それ以外は人により違うのではないか。いわゆる「ふるさとのなつかしさ」同様に、体験のないものには理解できないものではなかろうか。

例えば無言は虫の鳴き声も好きである。今は毎晩、スズムシの鳴き声を聞きながら寝ている。しかし、ロックの音楽がうるさいと感じるのと同様に、スズムシがうるさいという人もたしかに存在している。

虫の音を愛でるというのは、平安文学にも貴族が好んだとして登場しているが、中国やヨーロッパにはあまりないようでもある。一般に自然を征服する対象としてきた地方では、自然を愛でるという文化はないように言われている。

その点、島国で大昔から平和ボケしてきた日本では、箱庭型の自然を愛でるという文化が根強い。これなどは明らかに、肉体の問題ではなく、育ちの問題であろう。自然に洗脳されながら、虫の音がいいね、秋だね。と、本当に感じるようになったに違いない。

だとすれば、自然体験の少なくなった現代の子供たちは、滝を見てさわやかと感じたり、気持ちいいと感じない大人になるのかもしれない。それよりもゲームセンターの音の洪水の中に、癒しを求めるのかもしれないのだ。

閑かさや 岩に染み入る 蝉の声

この芭蕉の俳句も、幾多の論争を経て、この蝉はニイニイゼミだということになったが、すでに都内ではあまり聞かれなくなったようである。

こんな俳句が理解されるのは、田舎者だけになる日も近いのかもしれない。

 

 

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