33.信州中野のりんご狩り
〜友人丹精のMyりんごの木で、収穫の歓び味わう〜
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人目のお客さんです
◆ 30年来の友人手づくりリンゴ園、恒例のりんご狩り
友人のりんご畑から眺めた奥志賀方面斜面
秋11月はりんご「ふじ」の収穫期、もうだいぶ前から信州中野まで家族してリンゴ狩りを楽しんできた。
いつぞかは、津南町からの県境が雪の中だったこともあった。でも信州中野に着いたら絶好の秋晴れ、なのにリンゴ畑は寒さで凍えるようなこともあった。これまでそんなこんなの思い出を沢山つくってくれたリンゴ狩りである。 今年も1ケ月前に案内をくれた。今年は、自然環境にも恵まれことのほか実のつきもよく、台風の影響もなかったせいで大豊作との案内であった。この18日家内を同乗、勇んで獲物をあさるように出かけてきた。
大豊作のMyりんごの木
◆ 職場で一年が、今は37年間の家族同志のおつき合い
37年前、10年後輩で信州から新規採用で新任し、僅か一年の職場の知己であったK・T君(通称、均ちゃん)とは、以来信州と越後の距離を越えてずっと続く家族同志のつき合いが今も続いている仲だ。 長岡を離れて7年後、彼の結婚式に5人の仲間とともに参加して、信州の式場でお祝いに長岡甚句の唄と踊りで祝福したこともいい思い出である。またある時は、長岡祭りの花火大会に子供連れで来てくれ、三尺玉の打ち上げ鑑賞に興じたことも楽しい思い出である。そんなこんなのつき合いで気のおけない中が40年にもなろうとしている。
◆ 職場の勤めをこなし、りんごづくりに励む
信州・中野市田麦にある彼のりんご畑は、陽当りのいい南向きの丘陵斜面にあってりんご園に最も適した位置にある。
素人見だが、広さは20アール以上もあろうか。成木が50数本はあるようだ。 父親を亡くした後は、交代制勤務と長野市までの通勤を乗り越え、さらに職場の組合運動などもこなしながらりんご園の作業をこつこつと励んできた。雪消え頃からの枝の剪定、花後の摘果、何度も繰り返すであろう予防散布など知られざる苦労が山ほどあるのだろう。遠く越後の者は秋、真っ赤な姿でたわわに実ったりんご畑しか知らない。りんご作りの苦労など知る由しもないのが本当のところ。彼に対しては誠に心苦しい。 収穫の時期になると、県内はもとより、彼が職場で知り合った友人たちが新潟県の上越市や六日町などからも大勢の家族づれでやってきて賑わう。そんなりんご園である。幅広い彼の人柄がしのばれる。
◆ 成木の一本、まるまる”Myりんごの木”として収穫!
毎年彼が丹念に育てた”ふじ”の成木一本を指定され、まるまる一本を収穫してきた。今年も、幹まわり約30pの堂々とした成木だった。
台風もなかったせいかことのほか沢山の実がついていた。実も大きく大豊作の年なのだという。家内と一時間半あまり、夢中になってもぎとった。その量たるやなんと2〜300キロにもなろうか。 大した礼もせず、ましてやて摘果時期に摘果の作業案内も敬遠してきた身には、はなはだ心苦しいかぎりだ。その上、収穫後の昼食時には畑に張った俄かテントの中で、奥さんの手料理をつまんでビールと酒までご馳走となるのがいつものパターンになってしまった。遠慮のないわがままなりんご狩りを楽しんでいるのがホントのところである。
幹まわり30pのふじの成木 / 収穫したりんごの一部
◆ わずかばかりを近所、友人におすそ分けー「人のふんどしで相撲」
今年もたんまり収穫した。車に積みきれないほどの量だった。
満足な礼も尽くさず、遠慮のない盗賊のごとき友の振る舞いにきっと腹立たしい思いをしているのではないかと、チョッピリ気がかりではあるのだが……。 洋々と我が家に運び込んだ収穫物は、とても一家で食べ切れるものではない。お世話になった近所、友人や親戚にわずかばかりを小分けしてはおすそ分け。一年間、欠いた義理をこれで埋め合わせ、いわゆる「人のふんどしで相撲」をとらせてもらって有効活用しているのが実情である。 友に感謝、感謝。 許せ、友のわがまま!信州のりんご狩りに万歳!
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