44. 米山・吉尾コースを歩く

   〜廃村の吉尾集落に、かつての時代に思いをめぐらす〜

あなたは人目のお客さんです


米山山頂に建つ立派な避難小屋 


◆ 今日は、米山の吉尾コースに挑戦

  標高1,000Mにわずか7Mだけ足りない米山は、柏崎市と柿崎町の境界に位置している。 昔から日本三大薬師の一つとして、信仰の山として慕われてきた。昔から信仰登山で賑わっていたのだろう。信仰とは別に今も変わらぬ人気の山だ。
 いくつかの登山ルートがあることは知っていたが、これまで三度ほど歩いた道は、大平コースと谷根コースだけしか歩いていなかった。ずーっと以前、山仲間の倫さんが「吉尾コースもいいよ」と教えてくれていた。以来、長岡市内から米山が見えるといつも、「いつかは吉尾コースを登るぞ」と心で誓っていたのだった。
 いつでも行けそうで、どっこいなかなか実行できないできたのだった。ようやく10月3日、天気と日程と体調と諸々が一致、突如決行することとなった。

◆ 登山口の吉尾集落、今は廃村のさびしさ 

 カーナビゲーターに案内されて国道8号線を行くが、登山口の吉尾集落は結構遠かった。1時間半を要して、8時15分現地に到着した。柏崎で8号線を降りて山深く入り込んだ感じだった。かつて谷根コース登山の時辿った谷根集落の手前から右に入り、小杉集落を過ぎてさらに奥。最後まで立派な舗装路の続いた最奥が吉尾のかつての集落、登山口だった。
 今はまったくの無人、廃村だという。数台駐車できる空き地に、「吉尾之碑」と刻まれた立派な石碑(写真左)が建立されていて、その傍らに、「おお岩も 路辺の小石もそのままに 廃墟となりし ふるさとの村」の小さな碑(写真右)がそえられていて、昔のよすがを偲ばせていたのが印象的だった。


◆ ブナ林の続く静かな木陰道

 道路わきに設けられた登山コース案内には「吉尾コース 3時間30分」と表示されていた。他に車1台くる気配もなく、まったく一人だった。陽の暑い中、山頂まで3時間以上を覚悟し、8時30分駐車場をスタートした。
 廃村集落にあるコースながら、道はよく整備されている。山頂まで下草もしっかり刈られている。地元の登山関係者のお骨折りなのだろうか。しかも、途中々々に案内標識が設けられていて、「山頂まであと何千何百米」と次々に案内してくれているのには大いに助けられた。先を見通せる山登りは、疲れを癒してくれる。地元の人に感謝である。
 ナラやブナの林が続く木陰道で、日差しがよけられ夏のコースにもってこいだ。反面、見晴らし、眺望にはいまひとつといったところ、山頂の眺望に期待しよう。
 1時間ほど歩いたコースのちょうど中ほどに、珍しい大岩が鎮座していた。”山伏岩”と命名されていた。格好の一服場所なのだろう。ここまでの間にいくつかの小さな石仏が置かれていたが、不思議と皆な頭の部分だけが欠けていて、代わりにほどよい石が乗せられているのが気になった。
 山頂ちょっと手前に、3〜40体もあるだろうか、沢山の石仏の一群並べられた一角があった。昔、女人禁制の山で、女人堂跡だという。信仰心で登ったであろう女性信者を、山頂一歩手前でこのお堂に留め置いたということなのだろうか。なんともむごいことをしたものか。山頂は、ここからほんの一息だった。
 



 左 山伏岩 / 右 女人堂跡の石仏群 


◆ 立派な山頂の山小屋、眺め抜群の山頂

 女人堂跡を過ぎると頂上はすぐだった。10時10分、山頂に着いた。予想以上に早い到着だった。この吉尾コースは少しの急登はあるものの、アップダウンもなく、ごく登りやすいコースにできていた。
 上天気の山頂には、平日にもかかわらず何組かの先着者がいた。きれいで立派な山小屋にも、既に休憩者があった。分厚い登山記録簿が何冊も保管されていて、人気の山であることを物語っていた。小屋の広い休憩所もいいが、上天気の外の草原で、寝っころがっての大休憩こそもってこいだった。眼下に米山大橋、海岸線、青い海原が一望だ。そして遠く苗場山、妙高山、火打山、焼山と、あかず眺めて満足だった。
 十分休憩した後、帰えろうと一歩踏み出したところが、近くでわが名前をよぶ声がした。こんなところで?といぶかしく前を見ると、昔の山友達、かつての職場の後輩、N君ではないか。もう何年も会っていなかった。職場の仲間と二人で大平コースを登ってきたのだという。懐かしい友と偶然山で会うのも気分がいい。しばしことばを交わして、別々のルートを目指し別れた。  

 

 左 山頂の米山薬師堂 / 右 道々にある石仏(欠けた頭に小石)

◆ 廃村の吉尾集落、昔の栄華、今も醸す

 山頂から一気に1時間で下った。下って駐車場を目の前にしたとき、樹木のすき間ごしに、少し高台にお寺らしい立派な建物が目に入ってきた。廃村になった村にそんな建物が?と興味が湧き、 観察したくなった。
 駐車場からつながる道に、舗装した坂道が続いていた。路上はもちろん雑草と土のかたまりで人が通っている様子はない。道路沿いから左手に立派な石段で上れるようになっている。石段をはさんで両側に、見事な杉が門構えのように構えて立っていた。その境内には、入り口門柱に立派な彫刻を施して建つお寺がひっそりとあった。近くを辿ってみるとぽつん、ぽつんと家の建っているのが分かった。かなり朽ち果てた感じだ。お寺から少し離れた所に、これもまた立派な茅葺き屋根の家がしっかり建っていた。すべて無人家屋だった。こんなに立派な家屋やお寺を引き払って集落を廃村にしてしまう厳しい事情がきっとあったのだろう。
 帰ってネットで尋ねたら、吉尾集落は昭和57年2月18日、9戸あった家が集団移転したということだった。これだけ立派なお寺や家屋のあったことを思えば、往時はかなりの人が住んでいて、結構賑わいもあっただろうに。昔の日本の原風景の中に、日本の今を見た思いがして、少しさびしい思いを禁じ得なかった。昨今道路がよくなって、日本の山村のあちこちで同じ風景があるのかも知れない。
     

 左 立派な杉の門構えの奥に廃寺? / 右 往時を偲ばせる茅葺きの家

 吉尾のコースを初めて体験できた。そして、そこで貴重な日本の現実も見た一日だった。

(H20年10月6日記)

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