45.'08年 山の追憶再び

   〜記憶に残る雪の山、新緑の山、紅葉の山など〜

あなたは人目のお客さんです


高谷池から眺める火打山−'08.4.28 


◆ ’08年もつつがなく暮れて

 ’08年もつつがなく暮れてゆく。今年もいい山仲間との楽しい山行きができた。66の年齢にして、今年も事故も無く、無事で山歩きを終えることができたことに感謝である。
 目標の年20回の山行きも達成できた。山では沢山の思い出に恵まれたが、わがホームページに載せるチャンスを失しているうちに時間ばかりが過ぎていった。いま振り返って、今年印象に残った山の記録を記しておこう。  

◆ 雪の南蛮山にひっそり佇む石彫の群像たち

 年が明けて一番最初に出かける山が、一番近かまの南蛮山である。足腰の劣化を確かめることと、雪道のトレーニングを兼ねて。’08年も正月明けの7日、続いて3月13日だった。
 この道の沿線の車道上に”石彫の道”があって、点々と大きな石像群が置かれている。冬は訪れる者もなく、雪に埋もれてひっそりと佇んでいる。寒そうでもあり、さびしそうでもあり、何か物思いにふけっているようにも感じられる。一人雪道を歩いていると何か問いかけているようにも感じられる。いつもここを通り過ぎる時感じる思いである。





長岡・南蛮山へと続く”石彫の道”にある石像群−'08.3.13 



◆ 4月の火打山−汚れなし 純白一色 

 連休直前の4月27〜28日、笹ヶ峰から火打山を登った。例年、連休を前に笹ヶ峰までの雪道が開通する。3人の予定が直前に都合で2人となった。夕方5時過ぎに出発、夜7時に到着。雪を割った駐車場の周りは1.5Mの雪の壁。テントの風除けにおあつらいむきだった。焼肉で乾杯し、9時半就寝。
 朝4時半起床、5時半出発。曇り空ながら天気は心配なし。雪はしまって堅くアイゼンにぴったりだった。十二曲がりの急登を経て2時間で高谷池ヒュッテに到着。青空の中、正面に純白の火打山が迫って見える。



純白一色の火打山−高谷池近くから'08.4.28 




富士見平からの火打山 / 高谷池ヒュッテ−'08.4.28 


 高谷池ヒュッテからの登りは、強風に吹かれながらのきつい登りとなった。特に頂上直下からは足元が吹雪で見えず厳しかった。どうにか山頂に到達した。山頂の周りは風で雪が吹き飛ばされ、地肌がむき出しで、山頂のポールがポツンと一つ立っていた。一瞬の雲の切れ目から焼山のわずかな眺望を望んだだけで下山とした。
 高谷池ヒュッテへ戻った後は快晴の見晴らしが展開してきた。目の前の純白の火打山はもちろんのこと、信越境の雨飾山方面の眺望が開けてきて、火打山への連なりが一望となった。
 帰えりは快晴となって、いつまでもいつまでも、遠ざかる火打山、雨飾山、を眺めつつ帰路とした。

◆ 夏、蝶ケ岳〜常念岳目指すも、途中撤退

 8月18〜19日の日程で北アルプスの蝶ケ岳〜常念岳の縦走に参加した。メンバーは7人。予定では、三股から入って蝶ケ岳ヒュッテに一泊。二日目、常念岳から前常念を経て三股に戻るコースであった。常念岳は、かつて槍ケ岳を目指したとき、一の沢から常念乗越しを経て山頂に辿ったことがあった。蝶ケ岳、常念岳ともに魅力ある山で、二ついっぺんに踏破できる機会は、この後はまずなかろうと是非も無く同行させてもらった。
 

蝶ケ岳山頂から右の常念岳〜左奥大天井岳方面を望む−'08.8.18 


 久し振りの北アルプス登山となった。2年前、蓮華温泉から朝日岳の縦走を行った時、途中濃いガスと強風とで道に迷い遭難寸前となった北アルプス行きが思い出される。今回はそんなことはなかろう。
 天気は曇り勝ちながら雨の落ちる心配はなさそうだ。昼近くなって雲の切れ目から青空も覗いてきた。林の間から目の前に常念岳の一隅が突然現れてきた。堅い黒々とした岩肌がどっしり構えて見える。おそらく前常念岳と思われる。明日はあの岩尾根を下ることになるのだろう。
 長い林の道を約5時間かけて午後2時、山頂にたどり着いた。山頂からは明日辿る常念岳への長い岩尾根が結構なアップダウンをもって連なっている。尾根の後ろにどっしりとした岩山の常念岳が控えている。厳しい道のりのようだが楽しみとしよう。
   

◆ 常念岳への道、強風と雨で断念す

 いつもの山行き恒例で、夕食前のにぎやかな宴会を終え、早々にベットに入った。ところが、夜中に天候が急変したらしく、大変な嵐が夜通し荒れ狂っていたようだ。朝方になって、登山客がにわかにあわただしくなってきた。行くか、引き返すかの判断で迷っているのだ。
 我々は、争うことなく直ちに引き返すことに決断した。一昨年の遭難寸前の経験からの潔い決断だった。
 雨も降りやまず、風も依然として吹き荒れている。とてもあの長い岩の尾根道を行ける状態ではない。直ちに下山を決行した。約3時間の下山の道は、雨の中の行軍となった。
 結局、蝶ケ岳〜常念岳の縦走は途中撤退ということで終わった。しかし、帰った後のニュースによると、あの山の嵐が、当時、白馬岳を登っていた人たちが大雪渓で、土砂崩落に遭い死亡事故が発生していたことを知った。それも長岡の高専の教授が遭難にあったのだという。我々が、常念岳のさえぎるものの無い尾根上で、風と雨に翻弄されていたかと思うと潔く撤退の決断のよかったことを思わずにいられなかった。
 今年の夏山の強く印象に残った山行き一つであった。 

◆ ブナ林と名水、秋の菅名岳〜大蔵山巡り


林立するこのブナ林を土台にどっぱらの清水が湧き出ていた−'08.11.13 


 11月13日、五泉の菅名岳を登った。銘酒”菅名岳”を仕込む清水が湧き出る「どっぱら清水」の名水として知られている。
毎年一月、寒の入りから9日目、山深いこの「どっぱら清水」の名水を汲み上げて仕込んだ酒が、名水「菅名岳」として全国的に知られている。毎年、この水汲みに何百人もの希望者が殺到するという。20キロの水を、雪道往復1時間の行程を2回往復するのだという。報酬は、後日出来上がった銘酒「菅名岳」とのこと。
 その清水の源泉を確かめたいことと、帰りに銘酒「菅名岳」を買い求めたいものとの意地の張った思いから誘われて加わった。
 菅名岳は何年か前、咲花温泉コースから一度経験がある。いくつかの登山ルートがあって1,000M前後の山にしては手ごろの山として多くの愛好家に親しまれた山である。五泉・いずみの里口駐車場からの出発。11月、秋の深まった越後の山は静かで気持ちがよかった。
 行く道筋がこんこんと湧き出るように流れる沢筋にあった。この沢を何回も渡り返して40分ほど行った先に巨大なブナや桂の大木の林の一画、まさに「胴っ腹」からこんこんと湧き出る清水があった。これがあの銘酒を生み出す名水かと納得した。
 
 

こんこんと湧くどっぱら清水の源泉 / 林立するぶなの大木の一つ−'08.11.13 


 どっぱら清水を経て標高を上げると、黄色に色ずくぶな林がまた見事だった。黄色の色合いのぶなの樹幹から漏れる陽射しのコントラスが実に鮮やかに映えてまぶしいくらいだ。

 

菅名岳のぶな林の紅葉−'08.11.13 


 越後の秋の山は、たっぷりのぶなの紅葉がどこまでも続いていて、すき間から見通せる飯豊の雪山とあわせて心落ち着かせる願っても無い風情である。菅名岳を越えて、大蔵山の峰を巡るこのコースは、ゆったり、のんびりの快適な一日遊覧コースであった。

 ’08年を振りかえって、めぐった山々の印象に残ったいくつかを記録した。年を越して新たな年も元気に目標20山を目指して挑戦してみたい。齢67歳の’09年もまたその継続を願って。

  (H20年12月31日 晦日の夜記)

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