4. 新町内会づくりのむずかしさ
─ なごやかさとふれあうきずなが芽生える ─
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◆ 20数年間同居町内会から、突然の別れ話し
わが町は○○1丁目と称する長岡市の中心部から南に4キロほど、小千谷市に向かう旧国道17号線沿えの少し西側に入った所に位置している。
以前は国道から入ると田んぼばかり、昭和50年ころから住宅区画整理で漸く住宅が建ち始めたところで、まだ田園風景の残る素朴な環境の町である。はじめは、ポツン、ポツンの数軒だったため沿線ぞえの町内会に快くお世話になってきた。今は独立した住宅が50数世帯になってきた。そこで持ち上がったのが元の町内会からの別れ話しであった。
元の町内会は、旧国道に沿って林立する大事業所が大方で、一般住宅が間にわずかに挟まれたり、少し奥に入ってポツポツと遠慮がちに立ち並ぶ風景の町内会である。 昨年12月、寝耳に水のごとく、関係する1丁目町内会員が召集され、この12月をもって分かれてくれとのお達し。大半の会員には、初めて聞く話にビックリ。当然異論が続々噴出。会長曰く、「このことは昨年の総会の決定事項だ。理由は、町内会会則にこの町名が入っていないから」とかなり強引な説明。肌寒い師走の町内に、まさに三くだり半がつきつけられたのであった。
◆ 町内会「無縁・無関心」、「恩恵は黙って受容」が現実
正直言って、会員に入れてもらって25年、市政だよりや各種会報類の配布、ごみ出しの恩恵などをごく当たり前のごとく受けていた。町内会費も義務として当然納めてきた。ごく自然に、そういうものだとの感覚しか持っていなかった。たまに回ってくる班長役を義務として一年間負担する。そして年1回の町内クリーン作戦に加わる程度、それ以外は町内会には全く関心が及ばなかった。いうなれば、人任せ、無関心そのものが現実であった。
面倒な役はやりたくないがゆえに、今の役職者に黙って一任。多かれ少なかれ、それが大方の実態ではないだろうか。
それにしても、一年前に決まったという分割・別れ話しが、これまで具体的提案もなくこの年度末になっていきなりなぜ出てくるのだろうか。何か、どこかおかしくないか……?皆な釈然としないのがその場の雰囲気であった。大半の者にとって突然突きつけられた問題であり、大方の意見が、「関係世帯の意見集約が必要」となって、後日、再度全体会議を持ってまとめることでひとまずお開きとあいなった。
◆ 独立の潮時、「設立準備会」結成さる!
年が変わって1月中旬、該当する1丁目町内の全体会議が召集となった。初めて開催する全体会議であった。でも大半の世帯の顔が一堂に揃った。日頃見慣れた顔同士でも名前を初めて知ったものも多かった。気軽に言葉が交わせることがいいことだった。 新開地といっても20数年も経てば結構住宅も増え、いま流行のカタカナ文字アパートも立ち並んでいる。町内世帯もアパートを含めて100世帯は下らなくなった。町は結構大きくなっていた。 そこで、大方の意見が、「分割の進め方は大いに不満だが、ここらが新町内会結成の潮時だろう」ということになり「町内会設立準備会」なるものを立ち上げるとろまで話が進んでいった。初めての集まりであったにもかかわらず、全員からの発言があり自分たちの町内会を立ち上げようとのムードも出来上がった。一段落したところで、新年町内懇親会となって一堂が打ち解け、和気あいあいで終了できたことは大収穫であった。 町のメーンストリート?
◆ 結成準備会は、やるしかない!
実は、どこでもそうだが役員のなり手がないのが頭痛のタネ。この時もやっぱり!。互いに事情をあげての辞退派が続出。なかなか決まらず、結局「結成時の役員にはならない」?との口約束で漸くメンバーが決するという、先行き不安なスタートとあいなった。そう言う私も口約束を信頼した上で、事務局という重大任務を担当するハメになってしまった。 何も無いところから形のあるものにすることは難しい。会則は? 会員の把握は? 班をどう編成? 役員体制は? 会費はどのくらいに? 会員に経過をどう説明・納得してもらう? ……etc. 早速、会則づくりからスタートとなった。幸い、構成メンバーが老・壮とり合わさった協力的メンバーだ。一人が、得意なインターネットを活用して、ホームページ情報から全国の町内会会則をいくつか取り出してくれた。別の一人が、町内地図を作成して持ち寄ってくれた。 こうして第一回準備会が、1週間以内にスタートにこぎつけることができた。いまは皆な、立ち上げるまではやるしかないなと観念している。
◆ 今、町内会って何んだろう?
日頃人任せで、会費だけ払っていればそれで責任を果たしたつもり。後は、市政だよりの配布を受けたり、生ゴミ回収のお世話なったり、時には、共同募金を払わされる煩わしさを被ったり(?)する程度の意識しか持っていない。よく言えば、市当局の下請け機関?そんな認識ではあった。 世間の町内会会則を見て、実に様ざまな内容のあることが分かった。事細かに内容を盛り込んだものから、極くあっさりしたものまで。 戦時中当時の話を聞くと、いわゆる隣組みと称し、戦時体制下の下部組織的役割の話も聞く。当時の国策に批判的な者に、にらみを利かせる役割もあったとか。 今は、まったく違うだろう。今ようには、「町内の極く身近な最小共同体としての住みやすい環境、ささやかな親睦、そのためのささやかな力の出し合い」、こんなことで形成されていることで良いのではないだろうか。あまり互いのプライベートは侵さず、それでいて共同社会の一員としての僅かばかりの力の出し合いと協力、そんな姿が望ましいのではなかろうか。 戦前に戻ることなど論外にして、少なくとも単なる行政の下請け機関化や権力的独善に堕すこたなく、健全な明るい町内会でありたい。
◆ 4月スタートめざし、準備前進
すでに準備会は、3回討議を持ち、近々4回目を計画している。これまでの取組み経過と今後の予定について全戸に配布してきた。問題点と進めてきた状況を全体から理解してもらうことが何より大事との視点からである。
会則案の骨格と細則で会費案、慶弔規定案が固まってきた。区域内の会員世帯も把握でき、班編成原案も出来上がった。これから練り上げが必要なことは、予算収支案、街路灯整備などの若干の事業計画、街路灯の電気料等の固定支出項目とその支出根拠、新役員選出問題、設立総会の時期と持ち方、そこに至るまでの全世帯からの理解への方法など……etc.
まだまだやらなければならない問題が山積みだ。それにしても、突然持ち上がった難題だが、日頃あいさつ程度の町内がこれをキッカケに集まる機会が持て、コミニュケーションのチャンスができたのが何によりだ。準備会メンバーも集まるごとに協力的で、手づくり町内会ができていくようだ。
そんな中去る11日、旧町内会の定時総会が開かれた。事実上の縁斬りの総会ではあったが、議題にはそんな項目の一項すらなく、一方的な会長独断がみえみえ。そんなやり方に一同が憤慨。大いに議論が沸騰した。実は、この町内会、毎年360余万も繰越金を持つ裕福な町内会なのだ。分け前が欲しいわけではないが、明朗さを欠くやり方に憤慨したのだった。
分け前があろうが、なかろうが我が町内会は立ち上げなければならない。決して権力的にならず、ささやかな親睦と少しの協力のし合いで明るい町となればよい。
まだ田畑に囲まれた町の様子のひとつ
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