長工大賞


第9回 令和5年


松永 巖

(S20M)

 あなたは、母校を卒業後、官立長岡工業専門学校(現新潟大学工学部)、東京大学
工学部へと進まれ、東京大学卒業後は特別研究生として3年間在籍。その後、三菱
(現三菱重工業株式会社)に入社して発電用水車(低落差用水車)の開発に従事さ
れ、国内外の水力発電事業の発展に寄与されました。

 三菱長崎に赴任後は造船所の合理化も推奨され、また、終戦時3社に分割された3
重工の合併に関する機種統合問題にも参画されるなど、数々の実績を挙げられまし
た。

 三菱本社に赴任後は産業機械全般の事業発展や米国三菱重工の設立に貢献さ
れ、また、現役時代は山本五十六搭乗機里帰りプロジェクトにも支援をされました。

 定年後は俳句に本格的に取り組まれ、『朔風』の俳号をもって朝日俳壇やNHKなど
に投句されて数々の入選・入賞をされるなど、その優れた才能を発揮されています。

 他者を凌駕する弛まぬ真摯な努力と忍耐で精進されている姿は、他の模範となって
います。

 これまでの功績や活躍に敬意を表し、「長工大賞」を授与します。

井上靖秋

(S39e)

 あなたは、母校を卒業後、東京三洋電機株式会社(現三洋電機)に入社。

 半導体技術部でアナログ集積回路の開発に携わり、三洋電機株式会社では半導体事業本部でICやフラッシュメモリーなどの開発に従事する傍ら、独学で研究して早稲田大学に博士論文を提出し学位審査に合格、早稲田大学の博士(工学)学位を取得されました。

 三洋電機退職後は東亜大学総合人間・文化学部及び同通信制大学院総合学術研究科、早稲田大学大学院情報生産システム研究科の教授を務められ、早稲田大学定年退職後は同大学名誉教授に就任されました。

 また、母校卒業後は就職先の三洋電機内にマンドリンクラブを結成して定期演奏会などを行う傍ら産業音楽祭(東京)に参加されて最優秀賞を受賞。

さらには群馬県マンドリン協会役員として県内マンドリン音楽の発展に尽力されました。

 早稲田大学定年退職後は関東中心のマンドリンOB会を再開し、長工同窓会東京支部総会や長岡マンドリンアンサンブルでの演奏出演のほか、群馬県内のマンドリン演奏活動にも参加されるなど、現在もマンドリン音楽の発展に活躍・貢献されています。

 これまでの功績や活躍に敬意を表し、「長工大賞」を授与します。

関口幸治

(S43M)

 あなたは、母校を卒業後、株式会社日立製作所に入社。

 武蔵工場に配属されて、最初は最先端の半導体の工程にあたるホトマスク部門のエンジニアとして15年間従事された後、新製品の開発管理、企画部門では、新製品開発の管理について種々の管理手法を考案されるとともに技術者教育にも注力されました。その後、ルネサスエレクトロニクス株式会社で勤務を続けながら亜細亜大学大学院国際経営戦略科(博士前期課程)でMBA(経営学修士号)を取得し、千葉工業大学研究員を経て東京都市大学大学院に入学され、令和4年に73歳で博士号(環境情報学)を取得。その後も現役で会社勤務を続けて若手半導体技術者を育成しながら、産官学連携を目指して学会活動を継続されており、人生100年時代の生涯学習を目指すロールモデルとなっています。

 また、母校在学時は陸上部に所属し、3年生のときにインターハイ(全国高等学校総合体育大会)で全国8位となり、当時の新潟県標準記録を突破して「新潟日報標準記録賞」を受賞されました。

これまでの功績や活躍に敬意を表し、「長工大賞」を授与します。

大塚咲穂

(H31T)

 あなたは、母校を卒業後、地元の長岡造形大学に進学。

建築・環境デザイン学科の卒業研究に「養鯉型アクアポニックスの可能性に関する実践的研究」をテーマとして取り組まれました。

 アクアポニックスの基底は、地球環境問題の社会課題解決に着眼創造された最先端のシステム技術を駆使する「新しい農業・食糧生産」であります。

 長岡造形大学卒業後、アグリITベンチャー企業である株式会社プラントフォームに就職され、「アクアポニックス」という水産養殖と水耕栽培を同時に行う循環型の新しい生産技術を用いて、食料の安定供給モデルの実現を目指しています。

 その最も重要なIT・デジタル技術を駆使して生命の基本となる食生活をバックキャスチングしながら熱心に開発・改善を繰り返す地道な取り組みは、新時代を担う後輩に対するロールモデルであります。

 あなたの人生の「生命誌」として取り組む姿勢に対して「長工大賞」を授与します。